EPISODE 3
どこまでも遠くへ!
「…ふぅっ」
早朝に家を出たライムは、村を出る前に昨日カシスと別れた丘に立ち寄っていた。
丘の頂に立つ大木に、そっと背を寄せてみる。
ふと、風に揺れる木の葉が語りかけてくるような錯覚に襲われた。
「ここにいると、時間経つのがわかんなくなっちゃうんだよなぁ…」
木の影がぼくを引き止めてる気がする。
ここにいた方がいい、カシスやじーちゃんたちもいる。幸せになれる。
だけど、だけど…
「…行かなきゃ、ね」
大木が、丘が、この場所がぼくを引き止めてる?
ちがう。
この場所に甘えてるのはぼくの弱さだ。
少しの間、別れを告げなきゃって決めたんだ。
ライムはおもむろにリュックからハンドタオルを取り出すと、右手の拳にぎゅっと巻き付けた。
大木と正面から対峙した。
「……」
深く息を吸い込み、腰を落とす。右拳に力を入れ、すっと引いた。
「…りゃぁっ!!」
溜めた力を、一気に大木にぶつけた。
が、木はまるでびくともしない。
「にゃはは…かったいんだよねぇ〜…」
反動にしびれた手をプラプラと振りながら、気楽な笑顔を浮かべる。
頭上からパラパラと木の葉が降り落ちてきた。
昔からいじめられがちだったライムは、小さい頃からよくザボンじぃに連れられ、この木を相手に力をつける訓練をさせられていた。
ケンカに勝つためじゃない。
どんなに大きな困難が目の前にあろうとも、諦めない、くじけない精神を養うためだとザボンじぃは言っていた。
身体も心も、この大木が鍛えてくれた。
その力を、今度は外の世界にぶつける時だ。
「じゃ…行くかっ!」
ライムは丘を後にした。
「行くって、どっちに?」
「んー、とりあえず南かな?ほら、ぼくって寒いのキライだし」
「おいおーい、そんな理由でいいのかよー」
「仕方ないじゃん!手がかりがほとんどないんだから…って…」
ようやく、二人の目が合った。
「よっ!」
「カシス…もしかして見送りにきてくれた?」
「うんにゃ、コレ」
そう言って、背負ったリュックを見せた。
「何その荷物?」
「まぁ…その、なんだぁ。おまえ一人じゃ心配…ていうか、一緒にいなきゃしっくりこないっていうか」
ライムはため息をついた。
「しっくりこないって…勉強はどうすんのさぁ!」
「ま、いいんでない?」
「カシスぅ…」
「なに?」
「バカっ」
「アイタタ…一緒に行ってやるって言ってんのにそれかい」
「んぁー、でも…」
「ん?」
「とりあえず、ありがと!」
カシスがガクッと肩を落とした。
「とりあえずって何だよぉ…」
「どーせまた何か無茶言って飛び出してきたんでしょ?」
「ん…」
「ぼくのために何でもかんでも無理しなくていいのに…」
ライムの言葉の影には、カシスに対する申し訳なさが込められていた。
「そりゃカシスとは一緒にいたいけどさ…なんか迷惑かけちゃってるでしょ?」
「おまえ…母さんの言ってたこと…」
「なんとなく、だけどわかるよ。」
「気にすんなよ…おれんちの事情はおれがどうにかするし。」
「ぼくのせいで、ごめんね」
「そういうのは言いっこなしにしようぜ。とにかくだ、おれはおまえと一緒に行く!」
こう強く言われたらどうしようもない。
ライムは困ったように笑いながらも、軽く頷いてみせた。
「でもさ…変じゃねぇ?」
二人で歩きだして数分、それまで何かを考えているのか、ずっと黙っていたカシスが口を開いた。
「何が?」
「おまえの母さんの居場所。ザボンじぃが何も知らないってのは不自然な気がするんだよな」
「ふしぜん…?」
「んー…ほら、本当におまえの母さんが…その…」
ライムを刺激しないよう、慎重に言葉を探すが、すでにライムは言いたいことを理解していた。
「わかるよ。普通なら…自首なり何なりして、警察に捕まると思う」
「だったら、当時の記録とかを調べれば、どこにいるかわかるんじゃないか?」
「警察の記録に、そんな事件はなかったみたいなんだよね…もちろん母さんが捕まった記録も。」
「わかんねぇなぁ…そんな事件があったなら、記録の一つぐらい残ってるだろうに」
「なんだよねぇ…」
二人して空を仰ぐ。
「おまえの母さん、本当にそんな事件起こしたのかな?」
「ん…」
「信じられないんだよな。そういうことする人がおまえの母さんだなんて」
ライムはただ頷いた。自分だってそんなことは信じたくない。
「ぼくがじーちゃんの家に引き取られた時はね、じーちゃんは母さんには会ってないって。」
「そうなのか?」
「風の強い夜に車が一台、家の前に停まってて、仕事から帰ってきたじーちゃんが中を覗くとぼくが乗ってた…みたい」
「そうなるとじーさんが知ってることも手紙に書かれてることが全てか…」
カシスは腕を組んで考え込んだ。まったく手がかりがないのでは捜しようがない。
だいいち、これでは生死すらわからない。
「大丈夫だよ」
カシスの心を見透かしたように、ライムがにゃはっと笑った。
「行くアテはないけど…とりあえず母さんが住んでたアクアタウンに行こうと思う」
アクアタウンは、山ひとつ越えた場所にある町だ。
「根拠はないけど、そっちに風が吹いてるから」
「おまえ、なんでも風向きで決めるのな」
「風、好きだもん」
ライムは木の葉を数枚ほど手に取ると、手のひらに乗せて目を閉じてみせた。
すっと息を吸い、意識を集中させる。
風がわずかに手のひらを中心に渦巻き、ふわりと木の葉が浮く。
「すっげ…」
カシスが感嘆の声を洩らす。
ライムが力を抜いて目を開くと、風に乗った木の葉はまっすぐ南に…アクアタウンの方角に飛んでいった。
「ふぅ…」
体力を消耗するのか、ライムは額の汗をぬぐった。
「何度見てもすっごいよなぁ…」
カシスがライムのこの能力を目にした機会は多くない。
「あんまり使わないけどね。疲れちゃうし、別に何かの役に立つわけでもないから」
「まぁ、な…」
「じゃ!」
ライムはカシスの手をとった。
「改めて〜…」
「よろしくなっ!」
力強く、お互いの手を握り合う。
二人はにっと笑うと、全力で駆け出した。
自分たちだけで村を出るのは初めてだ。
彼らの胸は、高鳴っていた。
「風が、吹いたな…」
ザボンは紅茶の入ったカップを机に置くと、窓の外を覗いた。
青空に流れる雲。
旅立ちには相応しい。
「若い風か…羨ましいな」
ザボンじぃはただ祈った。
吹き抜けろ、どこまでも遠くへ。
シナモンは、暗い施設の中にいた。
硬い台の上に縛られ、数人の男たちに囲まれ…
イヤだ、恐い。
誰か…誰か助けてっ!
だが声すら出せない。
そんな日々の…記憶の断片。
苦しい、辛い記憶。
『逃げなさい…早く!』
そして脳裏に響いた、女性の優しく強い声。
シナモンの目に、光が飛び込んできた。
「う、ん〜…」
眩しさを感じたシナモンはゆっくりと目を開けた。
まず見えたのは、窓。そこから差し込む陽光が眩しかった。
シナモンはソファーの上に寝かされていた。体が冷えないように毛布で覆われていた。
「夢…」
シナモンがその夢を見たのは初めてではない。
幾度となく見てきた夢だ。まだ少し、身体が震えている。
でも今寝ているこの場所は、冷たく硬い台の上じゃない。
暖かい、柔らかい場所だ。
シナモンは体を起こし、頭の中を整理した。
「おいら…ここは…」
ああ、そっか、思い出した。ヴァニラって人に助けられてそのまま家に…
「って…」
シナモンはあることに気がついた。
「妙にスースーすると思ったら…」
なんか知らないけど、シナモンは全裸だった。
とたんに顔が赤くなる。
「雨に濡れてたし、着せとくわけにもいかんだろーにー」
聞き覚えのある、まったりとした声。
「ヴァニラ…」
「(=゚ω゚)ノぃょぅ!」
ふざけたように笑うと、ヴァニラはシナモンに、きれいに洗った服を差し出した。
「服、もう乾いてるよん」
シナモンは戸惑った表情を見せながらも、渡された服を受け取った。
「これ…」
「さっさと着な。風邪ひくぞ。それとも、着せてあげてもいいけど…?」
にんまりと笑われ、シナモンは真っ赤になった。
「自分で着られるよっ!!」
「怒った顔も萌えだなぁ」
「茶化さないでよぉ」
どうも調子が狂う。
ともあれシナモンは、さっさと服を着はじめた。
「あれ…」
よく見ると、破れていた箇所や外れてしまったボタンなどが綺麗に修繕されていた。
「あの…ヴァニラ、さん…」
ヴァニラは背を向けて台所に向かったまま軽く答えた。
「さん付け禁止〜!ヴァニラでいいってのに」
「ヴァニラ…」
「こう見えても家事得意なの。裁縫も…料理もねっ」
ヴァニラはおにぎりの盛り付けられた皿をテーブルに置いた。
「これがシャケで、これがたらこ。で、これが昆布。好きなの食えよ」
「う、うん、ありがとー…」
シナモンはシャツから頭を出すと、鮭の入ったおにぎりを頬張った。
続いてたらこ、昆布も次々と口に放り込んでいく。
シナモンが食べている様子をただ黙ってみていたヴァニラが、ぽつりと呟いた。
「だいぶ腹減ってたんだなぁ…」
「うん、それに温かいゴハン食べるのも久しぶりで…!」
「シナモン…」
「うん?」
「おまえ、これからどーするよ?」
その問いに、シナモンは手を止めた。
「おれ、おまえのこと好きだ」
「え…」
きょとんとするシナモンに、手を振って答える。
「や、萌えとかそんなんじゃなくてー…だってシナモン、一生懸命生きてんだろ?何もわからなくても毎日必死に生きて…おれなら挫けてるかもしれない。」
「んっと…」
「今まで野良犬みたいにがんばってたんだろ?ここで足を止めてもいい。けどおれは、もうちょっとがんばって走るおまえを見てみたいよ」
「ヴァニラ…」
「あぁ、これ、萌えじゃねぇや。どっちかってーと燃え!昨日パン抱え込んでたおまえに燃えたから、助けちゃったのかもなぁ」
「おいら、そんなにすごくないよ。やってることはただの万引きだし…」
「でもおまえ、どうにか生きてどうにか前に進んでた。それが気に入った。」
「おいら…どうすればいいのかな?どこに行けばいいのかな?」
「知りたいか?」
ヴァニラはシナモンの瞳を見つめた。
シナモンのまっすぐな視線が返ってくる。
「おれと一緒に、探しに行こう?」
「いいの…?」
ヴァニラはシナモンに、大きな手の平を差し出した。
「おれで良ければ!」
「…うん!」
シナモンの小さな手が、ぎゅっと握り返した。