EPISODE 4
水面の銀狼
「…かっこよく飛び出してきちゃったけどさシナモン〜」
噴水公園のベンチに座りながら、だれた口調でヴァニラが呟いた。
シナモンは無邪気に水溜まりの上を飛び跳ねている。
「なになに?」
「その〜…お金がね…旅をするにはちょっと…」
ポテポテと歩み寄ってくるシナモンに、財布の中身を見せる。
「んぁちゃ…」
「バイト代、全額下ろしても大した金額じゃなかったよ orz」
「やっぱやめる?おいらは別にそれでも…」
「隣町まで来て、そこでUターンなんてのは勘弁だっての。かっこ悪い」
「んじゃぁ、お金ないなら…稼ぐとか!」
「稼ぐったって、どうやって?」
「さあ?」
「考えてから言ってくれよ〜」
がっくりと肩を落とすヴァニラの顔の前に、シナモンはすっと手をかざしてみせた。
「見てて〜」
「何?」
シナモンがぎゅっと拳を握り、また開く。
「おわ!?Σ(゚Д゚;)」
ヴァニラのツナギの胸ポケットに、いつの間にか一輪の黄色い花が刺さっていた。
「どう?すごい?」
「うわ、おまえ手品なんてできんの!?記憶喪失なのに!」
「へへ!なんとなくやってみたらできちゃった」
照れ笑いを浮かべ、頭をかいてみせる。
「親がマジシャンか何かなのかもなぁ…」
「どうかな?これでお金かせげないかな」
「…やってみるか(・∀・)」
「アクアタウンはその名前が示す通りの水の都。町の至る所に噴水が立ち並び〜…ホントだぁ!」
目の前の巨大な噴水に、ライムは目を輝かせた。
「田舎とは大違いだよね〜!」
「そーだな」
白けた顔でカシスが相槌を打つ。
「えーっと…町の中央にある水族館には、世界最大級のサンマの骨が…へぇぇ」
「ライムー、なに読んでんだ?」
「アクアタウン観光ガイドブック。カシスも見る?」
ニコニコと笑うライムに、カシスは思いっきり脱力した。
「はあぁ…」
「どしたの?具合悪い?」
「遊びに来たんじゃねーだろうがー!!」
「ひゃ」
「おまえの母ちゃん捜しに来たんだろ!遊んでる暇なんて…ってオイ」
「すいませーん、トロピカルジュース二つください」
「あいよ」
カシスそっちのけで、ライムは露店のおやっさんからジュースを買っていた。
「人の話を聞…」
聞け、と言おうとしたカシスの口は、ライムの差し出したジュースのカップで遮られた。
「まあまあ。これ、この町の名物のトロピカルジュースだって」
「……ライムぅ」
じーっと、ライムを見つめた。
返ってくるのはやたらとホンニャカした笑顔。
「二人で他の町に行くのなんて久しぶりだもん。ちょっとぐらいエンジョイしていこうよ〜」
そう言ってカシスの肩をほぐす。
ふと、カシスは村にいた頃のことを思い出した。
付き合いが禁じられていたため、ライムと二人切りで村の外に出ることはほとんどなかった。
ライムにしてみれば、誰の束縛も受けずにカシスと二人でこうして他の町を歩くことは念願だったのだろう。
「…しょうがねえなぁ」
クシャクシャと頭をかく。どうしてこう甘いんだか。
「わあ〜い!」
ライムはカシスに飛びついた。
「どわっ!」
カシスより遥かに大柄なパンダの巨体を受けとめるのは無理だ。
思わずその場に尻餅をついた。
のしかかったライムの身体は柔らかいクッションのような弾力があり、はだけたお腹から直接体温が伝わってくるのがカシスには心地よい…けど、仮にも町中だ。周囲の視線が気になる。
「どけよー、重いから!」
ライムはにぱっと笑い、カシスの手を引いて起き上がらせた。
「じゃ、水族館へ行こー!」
「金のかかる所はダメ!」
「世界最大のサンマの骨〜」
「んなもん見たかないわぃ!」
「んじゃここでいいや。中央噴水公園。この町最大の噴水が、ロマンチックなムードを…」
カシスはライムの読んでいたガイドブックを取り上げ、鼻先をつついた。
「オマエ、要するに本に載ってるところならどこでもいいんだろ…」
「うっ…」
「まあ、公園ぐらいならいいか…」
仕方なさそうに笑うと、カシスはそっとライムの手を引いて歩きだした。
銀色のしっぽが小刻みに揺れている。
「なぁんだ、カシスだって…」
「ん?」
「なんでもないよー!」
まだ日の高い午後だった。
公園についた二人は、その美しさにすっかり心奪われていた。
「見てみろよライム、あの噴水!」
「わあっ」
至るところに並ぶ噴水は、まさに水のサーカスと呼べる美しさだった。
二人の村にはこんなものはなかった。
少し外に出るだけで、こんなにも美しいものが見れるなんて。
なんだかんだでカシスが一番興奮しているのか、水たまりを蹴ったりして遊んでいる。
そうこうしながらしばらく歩いていると、公園の一角に人だかりができているのが見えた。
「カシス、あれ何かな?」
「んお?」
人だかりの中から、時折拍手や歓声が起こっている。
興味を引かれた二人は人だかりの中に潜り込んでみた。
カシスはともかく、大柄なライムは人並みをかきわけるのが苦手だ。
ぎゅうぎゅうと人に揉まれながら、やっと顔を出すことができた。
「…ほいっ♪ほほいっ♪」
噴水の淵で、赤い帽子のタヌキの少年…シナモンがリズミカルに飛び跳ねつつ、指を鳴らしている。
その後方でシロクマの青年…ヴァニラが、ドラム缶を太鼓のように叩いてリズムを取っている。
「なんだ?」
カシスがそう呟いた瞬間、カシスの頭に黄色い花が咲いた。
「わ、カシス!頭!」
「おおっ!?」
他の観客にも同様のことが起こっていた。
シナモンがパチンと指を鳴らす度、観客の頭や服に色とりどりの花が咲いていく。
「カシス、あの子すごいよー!」
「ああ…」
ライムの目はシナモンに釘づけになっていた。
ヴァニラのドラムを叩くスピードが徐々に速くなる。
「さぁて、ラストだシナモン!」
「ほいさー!」
大きく跳び跳ねたシナモンが手をパンッと叩く。
次の瞬間、ライムの頭に巨大なヒマワリの花が咲いた。
「んわぁ!」
観客の注目と歓声がライムに集まり、再びシナモンに向けられた。
巻き起こる拍手に、シナモンはペコリとおじぎした。
「ど〜も!ありがとございましたぁ!」
「面白かった!」「また見せてね!」などの声援と共に、シナモンの足元の箱に小銭やお札が投げ入れられる。
その手応えから、シナモンはヴァニラに片目を閉じて笑ってみせた。
不意に風が吹いた。
シナモンは飛ばされそうになった帽子を慌てて押さえた。
「ん…?」
なんだろう、この感じ…
ライムはシナモンに、妙な感覚を覚えた。
例えるなら、風がシナモンの周りを吹き荒れているような。
風、という表現は正しいのかどうかわからない。しかし、目には見えない何かが、シナモンの周りを吹き抜けている。
「ライム、行こうぜ?」
カシスの声にハッとした。
「…あの子と、話がしたいかも…」
「へ!?」
ほとんどの観客が去った頃には、空はほのかにオレンジがかっていた。
ヴァニラは箱の中に集まったお金を数えていた。
「結構稼げるもんだなぁ。えらいぞシナモン!」
「にゃははー。おいらにかかりゃこんなもんだよ!」
シナモンは得意気に胸を張った。
「行く先々でコレやってたら、とりあえずは大丈夫っしょ!」
「おいら、がんばっちゃうかも!」
力強く笑ったシナモンの頭に、ふわりとヒマワリの花がかぶさった。
「あ」
二人は、花が飛んできた方向に目を向けた。
「お、ラストにでっかい花もらったラッキーなお客さん!」
「あっ、まだいたんだ。ごめんなさい…こんな重い花飛ばしちゃって」
シナモンはライムに頭を下げた。
ライムはいつものホンニャカした笑顔を見せた。
「いいもん見せてもらったよー」
パチパチと手を叩くライムの後ろで、カシスは噴水の淵に腰かけ、ひねくれた笑みを浮かべていた。
「ま、ちっこいわりにはやるんじゃない?」
「む」
シナモンがしっぽを立てた。
「おいら、ちっこくないもん!」
「なんだよ。オレのほうが身長高いじゃん!」
「にーちゃん、ケンカ売ってる?」
「チビ相手にケンカしたってつまんねー」
カシスはベロを出してからかった。
シナモンの目には悔し涙が滲んでいる。
「カシス、なにムキになってんのさ!」
「ふん」
ライムから目を反らして鼻を鳴らした。
「おいら、ちっちゃくないもん〜!」
わめくシナモンの頭をヴァニラがポンと叩いた。
「おうよ、シナモンはでっかいぞ!タヌキだからタマが!(* ^ー゚) 」
「あー!やっぱり脱がせた時に見たでしょー!!」
「見ただけじゃないぞ、フッフッフ…」
「う〜〜…」
シナモンの気を引きつつ、ヴァニラはライムに目配りした。一触即発の二人を引き離せ、という合図だろう。
ライムは頷いて、カシスのしっぽを引っ張って引き下がった。
「イテテテテ!何すんだよー!」
「こっちでお説教!」
「え〜!」
ライムは二人からやや離れた場所のベンチにカシスを座らせると、呆れたようにため息をついた。
「カシス〜、ちっちゃい子いじめるようなヤツだとは思わなかったよ〜」
「うー…いじめるつもりは…だってライムがアイツのことずっと見てるから…」
「なんだ、ヤキモチ焼いてるの!?」
なんか悔しいがライムの言うとおりだった。
ショーを見て以来、ライムはずっとタヌキの少年のことを気にしているように見えた。
それがカシスには歯がゆかった。
「デートしようって言ったの、ライムじゃん…」
思わず口を突いた言葉に、ライムはハッとした。
「ん〜…そっか、ゴメン。ただ…」
ライムはシナモンに目を向けた。
「風がね…」
「風が?」
「うん…あの子、気になるんだ」
ライムが何気なく言った言葉が、カシスは辛く感じた。
「…何が風だよ…オレだってさ…」
「えっ…」
「…オレだっておまえと二人きりで…デート、したかったんだよ…!」
カシスは言い放つと、ライムに背を向けて駆け出した。
「カシス…!」
カシスを引き止めようとして伸ばした手を、ハッと気付いて強く握り締めて下ろした。
ダメだ…
カシス、泣いてた。
ぼくのせいだ。
自分の都合でカシスを振り回した挙げ句、カシスの気持ちなんか何もわかっちゃいなかった…
引き止める資格なんて、ないよ…
「なんだ、どーした?」
のっそりとシロクマの青年が近寄ってきた。足元にはタヌキの男の子も。
「さっきのムカつく兄ちゃんは?」
言葉を返すこともできず、ライムはただ震えていた。
「おまえ…」
青年がライムの肩に手をかけようとした、その時だった。
「シナモンくん!」
黒いスーツに身を包んだ三人の男たちが、公園の外から駆け込んできた。
三人ともイヌ族で、それぞれ茶色、グレー、黒の毛皮に身を包んでいる。
いずれもヴァニラよりも背が高く、威圧感がある。
「えっ…」
名前を呼ばれたシナモンだが、動揺を隠せない。
「知り合いか?…って言っても覚えてないのか…」
ヴァニラは男たちに近づくと、軽く頭を下げて挨拶した。
「ども(=゚ω゚)ノ シナモンの彼氏です」
「探したよシナモンくん…!」
「無視かぃ」
男たちはヴァニラには目もくれず、シナモンの周りを取り囲んだ。
「えっ、あの…」
「さあ、帰ろう」
黒い毛並みの男がシナモンの腕をつかんだ。
シナモンが怯えた目つきに変わる。
「あの…そいつ記憶喪失なんで…」」
ヴァニラが男の手を押さえる。
「記憶喪失…?」
男の一人が冷たく笑い、他の二人に目で合図をした。
横から眺めていたライムが、男の異変に気付いた。
三人の中でも後方にいたグレーの毛並みの男がポケットから注射器を取り出し、狙いを定めるようにシナモンを見つめた。
ヴァニラもシナモンもそれに気付いていない。
「薬を使用してもいい。やれ。」
シナモンの腕をつかんでいた男が、そのまま背後に回りこんでシナモンの身体を押さえ付けた。
「うぁっ!」
「シナモン!!」
ヴァニラがとっさに出そうとした手を、茶色い毛並みの男が遮った。
「どけっ!!」
男を払い除けようとしたヴァニラの腹に、男の重い拳が打たれた。
「ぐぁっ…!」
痛みに耐えかね、ヴァニラは腹を押さえて片膝をついた。
グレーの毛並みの男がシナモンの腕に注射器を振り下ろす。
「わあぁっ!!」
シナモンは思わず目を閉じた。
腕に痛みが…ない。
「ぐっ…」
男の鈍いうめき声が聞こえる。
恐る恐る目を開けると、グレーの男は、バッタリと真正面から倒れこんだ。
ライムは突き出した自分の拳を握り締め、強い視線をシナモンを抱えた男にぶつけた。
「その子を離せ!」
ライムが、吠えた。
「ライムのバカヤロ…」
夕日を照り返し、オレンジにきらめく川辺をカシスはとぼとぼと歩いていた。
街から少し離れたところには、天然の川や泉が多い。それが水の街と呼ばれる所以だろう。
だが今のカシスに、その美しさを感じ取る気持ちの余裕はなかった。
『ヤキモチ焼いてるの!?』
たしかにライムの気を引いたあの小さなタヌキに嫉妬したのは事実だ。だからといってそのために八つ当りをしてもいいはずはない。
大人気ないのは自分だ。ライムに愛想をつかされても…仕方ない。
ふと見つめた水面に映ったカシスの顔は、突けば崩れそうなほど歪んでいた。
オレは…ライムにはオレが必要だなんて勝手に思い込んでただけだったんだ。
オレがライムを守るとかなんとか言って…
カッコつけてただけだ。
ライムがオレを必要としていたんじゃない。オレがライムを必要としていたんだ。
でもオレは…
オレはライムが好きだ。
陽が、ゆっくりと沈んでいった。