EPISODE 2

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道が見えない、そんな夜も


「待てぇっ!この万引き小僧めぇっ!!」

夕暮れ時、ボルトタウンの商店街に、スーパーの店主の怒声が響いた。
店主の追う先を走るのは、赤い帽子をかぶった12才ほどのタヌキの少年だった。
彼…シナモン・ラックーは人並みをかきわけ、必死に走る。
路地裏に逃げ込み、店主を振り切ったことを確認すると、手にしたパンにかぶりついた。
無論、先ほど盗んできたものだ。
これが彼の毎日だった。食べ物を盗んでは追われる日々。
それでも何も得られない時は、水道の水だけで空腹をしのぐ。このわずか一個のパンも、彼にとっては三日ぶりの食事だった。

ふと空を見上げる。
曇り空の奥から雷の音が聞こえた。

「おいら…なんでこんなことしてるのさ…?」

涙を浮かべ、シナモンがつぶやいた。
雨が、降ってきた。

「おいら…どこに行けばいいのさぁ…」

返事を返してくれる相手などいない。
徐々に激しくなる雨は、シナモンの涙と同化する。

「おいらは…おいらは誰なんだよぉっ!!」

シナモンは恐かった。
何者であるかわからない自分自身が。
どうやって生きていけばいいのかさえ、わからなかった。


その夜カシスは机に向かい、数学の問題集に集中していた。

はっきり言って勉強は嫌いだし、街の有名校への進学も興味はない。だがカシスの家は、この小さな村に唯一の診療所だ。
両親ともに医者で、連日何人もの人が頼りにして訪れる。
いつか自分が継がなければいけない。両親も、訪れる人たちもそれを期待してるから。

でも。

「ライム…」

今頃は支度を済ませ、風呂にでも入っている頃だろうか?
最後の夜だ、ザボンじぃの背中でも流しているのかも。
そういえば、もうずいぶんアイツと一緒に風呂入ってないっけ。
ちょっと前まで、ザボンじぃに連れられてよく隣町の銭湯に行ってたなぁ。
でも一年ぐらい前から…おれの母さんはライムとの付き合いを禁じた。
なんでかはよく知らないけど…
おれがライムのことが好きってことが気付かれてた?あの頃は、まだおれも自分の気持ちに気づいてなかったのに。
だけど…いくら付き合いを禁じられてても、学校で毎日顔を合わせているうちに…
おれの気持ちは抑え切れなくなって…
…ライムにすべて話した時、恐かった。関係が壊れてしまうんじゃないかって。
だけどライムは、文字通りその体で受けとめてくれた。
ふかふかの毛並み、おおきなお腹。おれよりでっかい体格してる割に、モノのでかさはおれよりちっちゃくってさ。

「あっ…」

カシスはペンを置き、下半身に目をやった。大きく前が突っ張ったカシスのズボン。

「……」

カシスはゆっくりとファスナーを開け、トランクスごと膝下まで下ろした。
まだ表皮が剥けきってはおらず、先の方からピンクの亀頭が少し顔を覗かせている。
手の平ほどの大きさにまでふくらんだそれは、ライムのことを想う度にピクンと
脈打ち、じわじわと少しずつ粘り気のある液体を溢れさせる。
カシスはおもむろにそれを握ると、上下にいじり弄び始めた。
手の動きが激しくなるたび、息遣いと、ライムへの想いが強くなる。

イヤだ、離れたくない。
あいつはおれの…

やがてカシスのそれは、ドロリとした液体を大量に放出した。
とっさに手の平で先を覆って防ぐのを忘れたため、まともに顔や机の上に飛び散った。
それが何度か脈打った後、液体の放出は止まった。

「はぁっ…はぁっ…」

荒い息遣いを何度か繰り返した後、ティッシュを何枚か取出し、体と机に散乱したそれを拭き取った。
問題集はほとんど解けていない。

「これが…今やらなきゃいけないこと…」

自分に言い聞かせ、再び机に向かう。
その時、一階の居間から母の声が聞こえた。

「カシス、降りてらっしゃい。お夜食にしましょう」

居間には、サンドイッチとカフェオレが用意してあった。
カシスの母は台所で洗い物をしている。

「父さんは?」

「町のお医者さんと仕事のお話があるの。今日は帰ってこないみたい」

「そうなんだ」

そう言ってサンドイッチに手を伸ばす。

「そのサンドイッチねぇ、お昼にうちに来た患者さんが分けてくれたのよ。」

「ふぅん」

一つ、口にしてみる。

「それでね、その人に聞いたんだけど…」

「うん?」

「カシス、まだライムくんとの付き合い続けてるんですってね?」

思わず手を止め、母に目を向ける。

「知ってるのよ。カシスがあの子のことを、特別に想ってること。あのね、そういうのは…」

「あいつの何が…いけないんだよ」

「いけないとか、そういうことじゃないのよ。前から感付いてたけど…普通の友達同士ならいいわ。だけどそうじゃないんでしょう?私はあなたに、この家を立
派に継いでほしいの。」

「そんなこと、わかってるよ。でも、母さんには…」

「下宿先、見つけておいたから。夏休みの間にご挨拶に行ってきなさいね」

「下宿先って…なんだよそれ…」

カシスの背中が凍った。

「隣町に転校したほうがいいと思うの。ここにいたら、あなたのためにならないから」

食器を洗い終えた母が、手を乾かしながら淡々と告げた。

「私もサンドイッチ、いただこうかしら」

そう言ってカシスのほうを向いた時…

「はは…」

カシスは、笑っていた。同時に、涙が溢れていた。
母が言葉を失って立ち尽くす。

「ずるいよ母さんは。おれのため、おれのためとか言ってるけどさ…おれの気持ちとか全然考えてくれてないじゃんかよ。」

「カシス…」

「自分に都合のいいことばっかり押しつけるくせにさ、おれのワガママ聞いてくれたことないじゃん。おれとライムのこと、今日、他人から聞いて知ったんだろ?…親ならさ…」

言葉を詰まらせた。
この先はもう言わなくていいことだ。
母は、理解している。
だが、敢えて言った。

「…親ならさ、もっと早く、自分で気づくもんじゃないのか…?」

母には返す言葉がなかった。カシスの言うことが正しいと、自覚した。
だが…親として譲れない部分もある。
気丈な視線でカシスを見据える。が、カシスも下がらない。

「いつも仕事仕事でさ、おれの相手してくれたことなんてほとんどないじゃん。
そんなんでおれの気持ちがわかるかよ!」

パンッ!

母は、カシスの頬を叩いていた。目には涙が溢れている。

「親の気持ち考えてないのは…カシスだって同じじゃない!」

「……」

「14年間、私たちがどんな想いであなたを育ててきたか考えたことあるの!?」

「…母さん」

母は机に伏せて、頭を抱えこんでしまった。

「ごめん…でも、おれ…その…ごめん…」

「私は認めないからね。許さないからね…!」

ここまで必死に何かを訴える母の姿を見るのは初めてだった。
だが、今でなければ言えないことがある。
今、言わなくてはいけないことが。

「母さん」

母は顔を上げようとしない。

「明日の朝から、少しの間留守にする。父さんにも、ごめんって言っておいて。」

「……」

「あいつのこと…守らなきゃ。認めてもらわなくてもいい。許してくれなくてもいい。
でもおれは…そうしたいから」

「カシス…」

母は顔を上げ、涙をぬぐった。

「…初めて、親にワガママ言ったわね」

「そうだっけか…」

「…認めないわ。」

「うん」

「…許さないわ。」

「うん…」

母は背を向けた。
カシスは、居間を出た。

「ありがとう」とだけ言い残して。


同じ頃、シナモンは町のコンビニの中で雨をしのいでいた。
さっきからイヌ族の店員が様子をちらちらとうかがっている。
夜10時過ぎに12歳ほどの子供が一人でうろついているのだから無理もない。

やがて店員はシナモンに近づいてきた。

「君、こんな時間に一人?お父さんやお母さんは…?」

「あぅ…えぇと…」

戸惑う様子を見せながらもシナモンは…
背後に陳列されていたパンを数個、とっさに両手に取った。
そして一気に駆け出そうとしたが…店員はその行動を察知していた。
店員はとっさにシナモンの腕を捕まえた。
両手に抱えたパンが転がる。

「おまえか…最近この辺りの店を荒らしてる子供っていうのは!」

「離せ…離してぇっ!」

「警察に突き出してやる。じたばたするな!」

店員がシナモンを事務所に引きずり込もうとした時、不意に店のドアが開いた。

入ってきたのは、青いツナギを着たシロクマの若者だった。

「んぁ?」

手を引っ張られるシナモンと若者の目が合った。

「んぉゃ?」

「離して〜!」

その声と、必死に抵抗するシナモンの姿に、彼はとっさに行動を起こしていた。

「あ〜、待って!すんませんっ!」

店員に慌てて声をかける。

「なんですかアンタ?」

店員がジロリと睨む。が、まったく臆せずに、シナモンににんまりと笑顔を見せた。

「やぁやぁ、こんなとこにいたのかオマエ。探したんだぞ?」

「えっ…」

シナモンがきょとんと首を傾げる。

「や、ごめんなさい。コイツ、俺の弟なんですよ〜。ちょっとケンカして、家飛び出しちゃってて…まさかこんな所でご迷惑をおかけしてるとは…」

「なんだ…じゃあ連続万引き小僧とは…」

「まさか、とんでもないっすよぉ!あ、落としちゃったパンは買い取りますんで、今日のとこは見逃しちゃもらえませんかね?」

「まあ…そういうことなら。次から気を付けてくださいよ?」

「おー!ありがとございます!ほら、おまえも謝る!」

そう言ってシナモンの頭をぺしっと叩く。

「ご、ごめんなさい」

なんだかわからないけど、言う通りにしてみた。

シロクマの若者は先程のパンと、さらにいくつかお菓子や飲み物などを買うと、シナモンを連れて店を出た。
雨はやや小降りになっていた。
雲の隙間から月明かりが差し込む。

「あ、あの…」

ぎこちなくシナモンが口を開いた。

「ありがとう…」

「い〜のい〜の。」

「なんで…助けてくれたの?」

「んー…その、なんだ。まぁ、端的に言うなら…萌えたから?」

「もぇ?」

聞き慣れない言葉にシナモンは首を傾げた。

「たはは…ま、気にするこたぁないさ〜!」

そう笑うと彼は、シナモンに先程のパンを手渡した。

「食っとき。腹減ってるんだろ?」

シナモンはパンと彼の顔を交互に見つめる。

「あ、俺ね。ヴァニラ。ヴァニラ・ポーラってなもんだ」

「ヴァニラ…さん」

「ヴァニラでいいよ。んで、君は?」

名前を聞かれ、シナモンは数秒間黙り込んだ。

「たぶん…これだと思う」

そっと赤いキャップを脱ぎ、ヴァニラに手渡した。
キャップの裏には「Cinnamon Raccoo」の文字が刺繍で施されている。

「しなもん…らっく〜。シナモンね。」

「おいらが覚えてるの、それだけ」

「…そか〜。」

記憶喪失の男の子?初めて見た。
ますます(・∀・)萌えっ!

もっと他に考えるべきことがあるだろうに、そんなことを考えているヴァニラは…要するに単なるショタだった。

「そか〜って、突っ込まないの?」

「別に。興味ないかって聞かれたら多少はあるけどさ。それ聞いたってどうしようもないんじゃない?」

「うん…何もわかんないんだよね。」

「どこに行くつもりだったんさ?」

「わかんない」

「いつからこんなことしてた?」

「一ヵ月ぐらい前…かな」

「…そか。」

ヴァニラはシナモンの服装をよく見つめた。
だいぶ長い間こんな暮らしをしていたのだろう、オレンジのシャツも半ズボンも、ずいぶん汚れている。
スニーカーはボロボロだ。

「…とりあえずウチ来い。服とカラダ洗ったほうがいいよ」

「…ぅん」

ヴァニラはシナモンの背を軽く押した。

暖かい、大きな手。

今まで誰かの温もりに触れることなど、なかったのに。

思わず、涙が溢れた。

「…泣〜く〜な。男の子だろ?」

「うん〜…」

「と言いつつ、おまえ泣き顔もかぁい〜なぁ(´∀`)」

「えぇっ!?」

やたらとフンニャカした態度を見せるヴァニラに戸惑いながらもシナモンは、笑っていた。
楽しくて、うれしかった。

「…どーしたもんかねぇ。」

困ったように笑い、ヴァニラはシナモンの頭をくしゃっとなで、帽子をかぶせた。

「赤い帽子、似合うじゃん」

シナモンの太いしっぽが風に揺れ、その言葉に応えた。