七章「衝動」

宇佐見母子の一件を終えた夜、鼓と健介は寮に戻って休息を取っていた。

「いやぁ、疲れたっす〜…」

「お疲れさん、ちょっと横になれよ」

健介がソファーの上の雑誌など、邪魔なものを片付けた。
鼓はさっとTシャツと短パンに着替えると、健介に促されるがまま、ぽてっ、とソファーに横になった。

「はぁ…」

ずっと気を張っていたためか、想像以上に疲労が溜まっている。
ソファーの柔らかさが心地良く、このまま眠りに落ちてしまいそうだ。

虚ろな目で健介の姿を見つめる。
健介は、大雑羽に脱ぎ捨てられた鼓の作務衣などを片付け、入口の横の洗濯かごに放り込んでいる。
寮の洗濯機は共用のため、洗濯をする時には一度一階に降りなければならない。
鼓と健介は洗濯を日替わりの当番制にしている。
本来は今日は鼓が当番の日だが、さすがに疲れている鼓に押し付ける気はなかった。

「俺、これ洗濯してくるけど、ついでに何かいる物あったらコンビニ行ってくるぞ?」

「あ…いや、特にないっす〜…」

「そっか。カギかけてくから、寝てていいからな」

「ぐぅ…」

鼓の返事は、言われるまでもなく寝息と化していた。

「寝付きのいい奴…」

健介は二段ベッドから毛布を一枚引きずり出すと、鼓の体にそっと被せ、部屋を出た。


健介が洗濯室に入ると、先客がいた。

「あ、西城さん」

「おう、健坊か」

大柄でがっしりとした体格の、サイ族の男性だった。
健介の先輩で、名を西城哲也と言った。
楽運荘の調理場担当で、もう二十年もの間、宿で食事を提供し続けている。

「その坊ってのはやめてくださいってば」

軽く笑いながら、二台並んでいる洗濯機の空いている方に洗濯物を放り込んだ。

「女将さんから聞いたぞ、おまえんとこの弟分、大活躍だったんだってな?」

「ええ、さすがに疲れたのか、寮に戻るなり寝ちゃってますけどね」

「はははっ!健坊もうかうかしてると鼓に抜かれるんじゃないか?」

「うぇっ!ご冗談を」

健介は思わず、鼓の言いなりになって働く自分の姿を想像してみた。

『健兄ぃ、トイレ掃除よろしくっす〜』

『えぇ!?』

『おいら風呂入ってくるっすから♪』

『あっ、待て、こいつ!!』

なんだ、今と変わらないじゃないか。

「そうだ、健坊、洗濯終わったらちょっと手伝ってほしいことがあるんだが…」

「何です?」

「今日の宴会でさ、皿洗いの量が多すぎて厨房の片付けがまだ終わってないんよ。
めんどくさいから明日の朝に回そうと思ったんだが」

「いや、お安い御用で。手伝いますよ」

「本当か?助かるわ!」

太い腕で健介の背中を勢い良く叩いた。

「げふっ…!」

どんな時でも一生懸命、決して力を抜きません。をモットーとする西城の手加減のない一撃に、健介の体が宙を舞った…


「ん〜、とんこつがいいっす〜…とんこつ…」

静かな部屋の中に、鼓の寝言だけが響いていた。
もぞもぞと寝返りを打とうとしたのだろう、かけられていた毛布が床にずり落ちた。

「…んにゃ…?」

突然感じた空気の冷たさに、思わず目を覚ましてしまった。
まだ朦朧とする意識の中、のっそりと上体を起こすと部屋を見渡した。

「健兄ぃ…?」

確か、洗濯に行くと聞いたような。
時計を見ると、健介がそう言った時刻から二時間近く経過している。

「別の用事っすかね…?」

鼓はいまだに疲れが取れていない様子で、軽く首を振りながら、いつも寝起きしている二段ベッドに向かった。
普段は上段で寝ている鼓だが、疲労した身体はハシゴを上るよりも、すぐに横になることを選んだ。

普段、健介が寝ている下段のベッドに、どたっと身体を預けた。

「ふぅ…」

布団を被り、大きく息をついた鼓だったが、下半身に少し突っ張るような違和感を覚えた。

「あっ…」

短パンの上から、そっと股間に手を当てる。
布団に染み付いた健介の匂いに、無意識的に身体が反応してしまったのだろうか、鼓の短パンはピンと張り詰めていた。

「最近、あんまり出してなかったっすからね…」

とは言っても、強精で知られるのがタヌキの一族である。
鼓もなんだかんだで、忙しい日でも一日一回は性欲の処理は行っていた。
元気な日には一日に四〜五回は軽い。

寮に入り、健介と一緒に暮らすようになってからは互いに気を遣い、片方が出掛けている時に行うようにしていた。
なんとなく、健介に自分のそういった姿を見せることには抵抗があった。
とは言え、年頃の男子が二人、同じ部屋で暮らしているわけだし、いくら鈍感な健介とて気付いていないわけではないだろう。
それでも鼓は、健介に見られることだけは何としても避けたいと、直感的に感じていた。
一緒に暮らし始めて二ヶ月、未だ健介に現場やティッシュ等の物的証拠を見られたことはない。

だが、昼間の緊張感から開放されたことと、ハッキリしない意識が鼓の注意心を鈍らせていた。

そこが健介のベッドであることも忘れ、ティッシュも用意しないまま、鼓は半ば本能の示すまま、短パンを膝下まで下ろしていた。

虚ろな視線で、トランクスの上から性器の辺りに手を延ばす。
どうやら精神的疲労と雄としての衝動は別物らしく、トランクス越しでも指先が
湿るほど、激しく先走りが溢れている。

「んっ…うっ…」

トランクスに親指を引っ掛け、そっと下にずらす。
開放された鼓の太い生殖器は下腹部に触れそうな程反り返っており、ガチガチに硬くなっている。
顔を出したピンクの桃のような亀頭の先からは絶えず先走りによる半透明の液体が溢れており、性器全体をぐっしょりと濡らしている。

「うぅ…」

指先を皮に添え、勢い良く扱き出す。

先走りと振動が、クチュクチュと音を立てる。

「んっ…ぅんっ…!」

徐々に興奮の度合いが増してきたのだろう。
全身を覆う長い毛皮がフワリと逆立ち、しっぽは手の扱きと連動するようにパタパタと上下している。

おもむろに、布団を頭から被る。
呼吸をする度に感じるのは、布団に染み付いた健介の匂いだ。
健介の、淡い青色の毛が数本、所々に見える。

「っ…健…兄ぃっ…」

その名を、か細く口にした。
鼓にとって、兄と呼べる存在。それ以上に大切な存在。

健兄ぃに、抱かれたい…

鼓の、かねてからの願いだった。
小学六年生の冬、鼓は健介と出会った。
あの日、高校受験前に宿泊した健介が鼓に対して一つの行動を取った。
二人で入った露天風呂。
突然降り出した雪に、事故の記憶が蘇り、鼓は恐怖心に身体がすくんだ。

その時、手を延ばし包んでくれたのが、健介の温もりだったのだ。
その思い出は、時に事故の記憶すら消し去るほどの強さとして、鼓をずっと支えてきた。

健介が楽運荘で働くことを決めた半年前の雪積もる夜。
健介と同じ部屋で暮らし、共に仕事をすることが決まった三ヶ月前の朝。
それが、どれだけ嬉しかったことか。
鼓はずっとこの想いを秘め続けてきた。

「大好き…」

決して、本人には言えなかった言葉だ。
健介が自分を好きだということはわかっている。
しかし、鼓にとって最も好きなのは「健兄ぃ」だ。
自分がこの気持ちを明かし、性的な衝動を抑え切れなくなった時、この関係が壊れてしまうのではないか。それが、恐かった。

しかし、鼓が今、脳内に描くのは自分をを抱きしめる健介の姿である。
もうこの衝動を止めることはできない。
鼓の心臓がドクドクと早鐘を打つ。
鼓の性器は今にもはち切れそうなほど大きく、硬くなっている。

「はぁっ…くっ…!」

射精直前の特有の苦痛に身を置き、なおも押さえ付けるようにぎゅっと性器を握り締める。
そろそろ限界だろう。
少しずつ溢れ出る液体を一気に開放すべく、鼓は手から力を抜いた。

「んっ…!!」

鼓の性器から膨大な量の精液が溢れ出る。
射精時の振動に、鼓の全身が何度も脈打つ。

…ガチャッ

部屋の扉が開いたのは、ちょうどその瞬間だった。


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