四章「信頼」

その日の夜、鼓と健介は女将に呼び出され、今後の仕事について話していた。

「来週の土日に泊まられるお客様なんだけどね」

そう言って女将は鼓たちに書類を手渡した。
宿泊する客の人数や、予定している部屋、その他接客プランについて書かれている。

「お母さんと娘さんのお二人っすかね?」

「ええ。備考欄を見てほしいんだけど…」

「娘さんは車椅子を使用…」

健介が読み上げた。

「身体が不自由なお嬢さんなんすね…」

「このお客さんを、俺と鼓で?」

「いいえ」

女将は一呼吸置いて、鼓の目を見つめた。

「鼓、あなた一人に任せたいの」

「お、おいらっすか!?」

鼓は自信なさげに健介に目をやった。

「でも、おいらより健兄ぃの方が、経験もあるし…」

「もちろん経験の少ないあなたのフォローには回ってもらうつもりよ。でも、この娘さんに関しては鼓が適任だと思うの」

「でも…」

「いいかい鼓?あなただっていつまでも見習いでいるわけにはいかないのよ?初めて一人で仕事をして、例えそれで失敗しても私はあなたを責めたりはしないわ。」

「はいっす…」

「要はあなたが、お客様の力になりたいか、なりたくないかよ」

鼓が答えを出すのに、さほど時間はかからなかった。

「鼓、慣れてないんだから無理しなくていいって。俺がやるから」

「健介!」

女将が健介を短く叱った。

「大丈夫っすよ健兄ぃ。おいらだってちゃんと勉強してるっすから!」

「でもなぁ…」

「おいら、一人で大丈夫っす♪」

鼓が寮に戻った後も、健介は残って女将と話を続けていた。

「しかし、なんで鼓なんです?まだ実践経験も少ないアイツにこのプランは…」

そう言って資料に目をやった。
鼓が受け持ったプランは、『お任せ地域観光付き』となっている。
地域の活性化のために楽運荘が実施している特殊なサービスで、お客さんをただ宿泊させるだけではなく、接客担当者が地域のレジャー施設や観光スポットなどの案内を行う。

楽運荘の周辺は観光地としてはそれほど有名ではないため、地域と連携してのサービスが重要になっている。

だが鼓はまだこのサービスは二回しか受け持ったことがなかった。
それも今までは健介に同行する形だったが、今回は一人で案内をしなければならない。
その上に、身体にハンディのある少女。
明らかに鼓には荷が重いプランである。

「やっぱり俺がやりますよ。これじゃ鼓がかわいそうです…」

「鼓が大丈夫って言ったのを、あなたは信じていないの?」

「いや…そういうわけじゃ…」

「私はあの子だから任せたんです。女将のカンね」

そこまで言われては健介も納得せざるを得ない。

「わかりました…」

一言だけ言うと一礼し、部屋を後にした。


寮に戻った鼓は、早速サービスのマニュアルを引っ張り出して目を通していた。

「ん〜…障害のある人でも遊べる施設は…っと」

女将から渡された顧客情報とマニュアルを交互に見比べ、どのように地域案内をするか考えるが、イマイチ実感が湧かない。

旅館の周辺なら小さい頃から遊び慣れてるし、いろんな店や施設の人に顔見知りも多い。
町中全部案内してくれと言われれば、それもできるだろう。
しかしこのプランの厄介な点は、案内した場所をお客さんが気に入らなければそれまでだということだ。
お客さんとのコミュニケーションも含めて、大変な仕事である。

「はぁ…」

思わずため息を漏らしてしまった。

「なんでおいらなんかに…」

女将の言葉の手前、引き受けてしまったものの、やはり自信はなかった。


「はぁ〜あ…」

なんだかため息ばかりっす…

こんなことなら、やっぱり健兄ぃに任せておけば…と考えそうになる気持ちをムリヤリ押し込めるように、鼓はぶんぶんと頭を振った。

とにかくやってみるしかないっす。

時間も十分にあるわけではない。
悩んだ挙げ句失敗するぐらいなら、いっそ腹をくくるべきだろう。

鼓は再び、資料に目を通し始めた。

しばらくすると、健介が帰ってきた。

「手伝うぞ?」

と言ってやりたかった健介だが、鼓が集中している様を前に、口を引っ込めた。

鼓は、自分一人でできないことをできるとは言わない。

そういう性格をわかっているからこそ、健介もつい手伝いたくなってしまう。

だがそれが自分の甘さだと健介は自分に言い聞かせ、ただそっと鼓のそばにいることにした。

いつの間にか、しっかりしてきたよなぁ…

ふと思い立ち、健介は夜食にとラーメンを作ってみた。

「ありがとっす♪」

お腹が空いていたのだろう。

喜んでしっぽを振ってラーメンに飛び付いた鼓の姿が、嬉しかった。
少しずつ子供じゃなくなっていく鼓の姿が、少し、寂しかった。

「ねぇ健兄ぃ」

「ん?」

ラーメンを食べながら、鼓が健介に笑いかけた。

「やっぱ…アレっすかね。今度の仕事、おいらに任せるのは心配っすか?」

「ん…」

心配じゃないわけがないだろ。

喉まで出かかったその言葉を飲み込み、こう言った。

「おれは…おまえなら大丈夫って信じてるからよ…」

「へへっ、顔に心配って書いてあるじゃないっすか」

「うっ…」

タヌキを化かすのは至難の技なのか、単に自分がバカ正直なだけなのか。

「…おいらも、正直不安っす」

「だろうな」

「でも、失敗するかもしれないけどおいら…やってみたいんす」

鼓は健介の顔をじっと見つめると、一呼吸置いて言葉を続けた。

「だっておいら、健兄ぃのこと…」

「えっ…」

健介はゴクリと生唾を飲んだ。
もしかしてこれはっ…

「…ヘタレで見てらんない健兄ぃのこと、ちゃんとフォローできるように早く一人前にならなきゃいけないっすから♪」

鼓はそれだけ言うと、ズルズルとラーメンのスープを飲み干し、「ごちそーさまっす」と手を合わせた。

「ほら、健兄ぃも早く食べなきゃ伸びちゃうっすよ?」

「だ…」

「ほへ?」

「誰がヘタレじゃーーーっ!!!」

「わああっ、だって見たまんまじゃないっすかぁ!!」

「うるせぇ!おまえなんかこうだ!!」

健介はバタバタと暴れる鼓を取り押さえ、頭をわしゃわしゃといじくり回した。

「やめてくだせぇっす〜〜!!」

「やめてほしけりゃヘタレ発言を撤回しやがれっ!」

鼓はもがきながら、入口を指差した。

「…あ、女将さん!」

「えっ」

鼓の狂言に気を取られた一瞬の隙をつき、鼓は健介の腕から脱出した。

「あっ!汚ねぇぞ!」

「お風呂行ってくるっす〜♪」

鼓は元気に部屋の外に走り去って行った。

「ちくしょー…なんて奴だよ…」

取り残されたヘタレな犬は、机の上のラーメンにしぶしぶ口をつけた。

「…ぬるい…」


鼓は寮を出て旅館の温泉に向かう途中、ふと足を止めた。

「…おいらもひねくれすぎっすかねぇ…」

雲の隙間から、新月が顔を出した。
作務衣の袖口に吹き込む、外の新鮮な空気と柔らかな風が肌に心地良い。

おいらが何言っても、どんな時でも、必ずそばにいてくれるから。

「だから、おいら一人でも大丈夫なんすよ」

健兄ぃには聞こえない。
でも、この気持ちが伝わっていればいいな。
鼓は、そう願った。


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