第7話
「くらえパンチ!暗いパンダ!?」
その夜、楽運荘の事務所は警察の取調室のような物々しい雰囲気に包まれていた。
「おまえらなぁ……常識ってもんを考えろよ。やっていいことと悪いことがあんだろ」
「はい……」
「すみません……」
「もうしません……」
事務所の片隅で、乾健介が事務机を挟んで三人の若者と向かい合っていた。
偉そうに足を組んで説教を垂れる健介と、しゅんと頭を下げる三人。
赤、青、黄のシャツを着ており、それぞれの種族はトラ、ジャガー、チーター。
「そりゃ、男だったらそういう気持ちがムラムラ〜っときちまうのもわかるけどな。でもこいつはダメだろ、どう考えても」
コツン、と硬い音を立て、健介は机に一つのデジカメを放り投げた。
「まぁ……女湯が覗ける隙間があったのはうちのミスだ。けど、なんだこのカメラ。『たまたま覗ける場所があったからつい出来心で……』ってんなら、こんなもん持ち込んでるワケねーよな?」
「うっ……」
「はう……」
「あん……」
「つまりてめぇらは、最初っから女湯を覗き、あわよくばそれを盗撮することを周到に計画した上で露天風呂に入った!そうだな!?」
ばんっ!と、健介が刑事ドラマみたいにかっこよくデスクを叩いた。
デスクに置いてあった湯呑みが倒れてしまい、お茶がこぼれてきたので慌てて拭く。
「……と、とにかくそういうことなんだな!?」
「えぇ」
「まぁ」
「だいたい」
「何だよ、そのだいたいってのは……」
「それは」
「言えません」
「黙秘権を行使します」
「てめぇら……」
機械的な挙動を繰り返す三人に、健介は呆れて頬杖をついた。
彼らの盗撮行為には少々疑問に感じる点があった。
事の起こりは30分ほど前。
たまたま仕事をサボって露天風呂に入ろうとした鼓が、女湯との仕切り板の下で不振な行動を取っていた三人を捕まえたのだ。
仕切り板の下には、以前から信楽焼きの狸の置き物が置かれており、その後ろにわずかに女湯を覗ける隙間があった。
彼らはそこからデジカメを潜り込ませ、女湯を撮影していたのだった。
日頃から掃除に入っている健介でさえ、その隙間の存在は知らなかったし、それに何よりも疑問なのは――
その時間は、女湯は清掃中で入浴客はいなかったのだ。
「いくら何でも、誰もいない女湯覗いて興奮してたワケじゃねーよな?どういう理由だ?」
「…………」
「…………」
「…………」
「ち、だんまりかよ。」
彼らの表情に緊張が走っている。どうやらどうしても知られたくないことがあるようだった。
健介はしばし考えると、おもむろにトラ族の若者の肩に手を伸ばした。
「おまえら……田舎の母ちゃんが泣いてるぞ?知ってることがあるなら吐いちまいな。罪は隠し通してもおまえらの重荷になるだけだ。やましいことはこれっきりにしようや……」
今度は一転して優しく諭しかけた。
事務所の片隅で、取り調べの様子を興味津々で見守っていた鼓に目配せし、照明を落とさせた。
机の上の小さなスタンドライトのほの暗い明かりだけが、否応なしに雰囲気を盛り上げる。
強張っていた三人の表情が崩れかけ、微かに瞳が潤んでいるのを見てとった健介は、ここぞとばかりにパチンと指を鳴らした。
「カツ丼でも、食うか……?」
どこからともなく現れた松阪幸平が、すっと三人分の丼を置いて去っていった。
健介がそっと蓋を開けてやると、暖かい湯気と、カラッと上がったカツが彼らの視界に飛び込んでくる。
完全に雰囲気に飲まれたのだろう、三人は眼に涙をいっぱいに溜め、吐き出すように口を開いた。
「刑事さん……!」
「白状します……!」
「実は俺たち、ある男に頼まれてやったんです……!」
「ある男だって……!?」
ここにきて、まさかの新展開だ。まさか黒幕が別にいたとは――
健介は更なる情報を聞き出そうと、彼らを椅子に座らせた。
「そいつは誰だ。教えてくれ!」
身を乗り出して迫る健介に、右側に座っていたチーター族の若者が恐る恐る声をかけた。
「あの……その前にこれ、食べさせてもらってもいいですか?」
「腹減ったし」
「冷めちゃうし」
カツ丼を前にして、ぐきゅるる、と三人の腹が鳴る。
「仕方ねぇな、さっさと食っちまえよ」
「ありがとうございます!」
「では遠慮なくっ」
「いただきます!」
三人は割りばしを割ると、同時にカツ丼を口に運んだ。
――そして。
「……ごふっ!!」
「げはっ!!」
「甘っっ!!?」
「なっ!?」
愕然とする健介の目の前で、三人は白眼をむいて卒倒してしまった。
ぴくりとも動かない彼らの屍を前に、健介は怒りに肩を振るわせながら、
「まさか……この事件の黒幕が、口封じのためにカツ丼に毒を……!?なんて恐ろしい奴!」
「……っていうかこのカツ丼、カツの衣に生クリームとかハチミツなんかが混じってるっすよ〜?」
残されたカツ丼を箸でつついて検証しながら、鼓が呟いた。
よく見たら衣はパン粉じゃなくてビスケットを砕いた物だし、ご飯のタレなんかメープルシロップだ。
「……あの黒毛和牛……」
「そういや西城さん、さっき買い物に行くって言ってたっす……」
「待てよ!?まさか犯人は幸平っ」
「それはないと思うっすけど……」
事件が迷宮入りしそうになったその時、パッと部屋の明かりがついた。
「あんたたち、いったい何の騒ぎだい?」
恐らく湯上がりなのだろう、しっとりと湿った長い髪をポニーテールに束ねながら、大河早苗が部屋に入ってきた。
従業員チーフを務める仲居で、トラ族の勝ち気そうな女性だ。
「女湯覗きっすよ。盗撮も」
「覗き?なんだい、健全な男子のすることじゃないか」
「姐さん、それ、うちらが言っちゃダメです……」
健介がげんなりと肩を落とす横で、早苗は卒倒したまま動かない三人をじっと見つめた。
「この子たちが犯人?被害者は?」
「それが、いないんですよ」
「その時間、女湯は清掃中だったっすから……」
「清掃……?」
ふと気づき、早苗は首を傾げた。
「盗撮に使ったカメラは?」
「あ、これっす」
「貸して」
机が差し出したデジカメを強引に奪い取るようにして、早苗は険しい目つきで画像データに目を通していく。
「あぁっ、プライバシーがっ……」
「今さらだよ」
彼女の見る限り、デジカメの中身は何の変哲もない普通の写真の数々が大半を占めていた。
だが、画像をスクロールさせて行き、ついに早苗はある画像を発見してしまった。
……ピシッ
早苗の恐ろしい握力で、ステンレス製のデジカメにヒビが入る。
「あ、姐さん……?」
ワナワナと肩を震わせる早苗に、健介が恐る恐る声をかける。
「あの、彼らは盗撮が目的というか、誰かに頼まれたらしいんですけど……」
「見りゃわかるよ。こんな写真欲しがる野郎なんざ、アタシの知る限りじゃ一人しかいないね」
「へ?」
「あのクソパンダ……!!」
次の瞬間、早苗の手の中でデジカメはグシャリと潰れ、彼女は鬼のような形相で部屋を飛び出していった。
「な、なな……!?」
「・・・あっ」
蒼白な顔でうろたえる健介の横で、鼓がポンと腹を叩いた。
「早苗姐さん、湯上りだったっすよね?今日は姐さんが女湯の清掃担当だったから、もしかして……」
「う。まさか……でも、そんな命知らずな……」
そう。デジカメに映っていたのは、早苗の入浴姿だったのだ。
――ボクの勘だと、そろそろかなぁ。
楽運荘の大浴場に繋がる廊下の角に身を潜め、半田巧は『その時』が来るタイミングを見計らっていた。
やんちゃそうな顔つきとまん丸なお腹が特徴のパンダ族の青年で、楽運荘の雑務全般を引き受けている従業員だ。
なぜか太った者が多い楽運荘の中でも、もっとも重い体重の持ち主である。
その視線は獲物を狙うハンターのように冷静に鋭く、廊下の先のある一点を凝視していた。
大浴場 女湯。
そののれんをくぐり、ネコ族とキツネ族の若い女性が姿を見せた。
浴衣の下の、湯上りのしっとりと湿った姿がさりげない色香を漂わせている。
――きた!
巧は目を光らせると、さっと廊下の影に身を隠した。
「気持ち良かったね〜」
「うん、お肌つやつや♪」
などと談笑しながら、女性たちは廊下を歩いてくる。
その二人が廊下の角を曲がろうとした瞬間、突然目の前にずんぐりと太ったパンダの顔が飛び込んできた。
「きゃっ!」
「んわぁっ!」
ネコ族の女性とぶつかり、二人同時に尻餅をつく。
「いってて……んわ、おね〜さん、大丈夫ですかぁ!?」
彼は女性らの顔を見るや否や、慌てて立ち上がって手を差し伸べた。女性はその手を取って起き上がると、
「ありがとう、大丈夫です……」
「ごめんなさい、ボクが前方不注意で……」
嘘だ。ものすっごーく注意深く彼女たちを観察していた。
「いいえ、こちらこそすみません……」
「あ……」
「何か?」
「あぁ、いや、おね〜さんたち、すっごくキレイだにゃ〜って♪」
てへへ、と笑いながら恥ずかしそうに頭をさする。
「きゃ、キレイだって、どうしよ〜♪」
「お兄さん、ここの人?すごくいいお湯でした♪」
巧の着た緑の作務衣から気づいたのだろう、キツネ族の女性がペコリと頭を下げる。
「ありがとー!おね〜さんたちみたいなかわいい人に入ってもらえると、ボクも嬉しいよ〜。あっ!もしかして女優さんとか?アイドルとか!?」
「やだ、お世辞はやめてよ。普通の女子大生です〜!」
「ホントだよぉ。ボク、一目見てずぎゅーんってきちゃったもん!」
「あははっ。お兄さん、面白い人だねー」
「そっかなあ。ね、どっから来たのー?」
「静岡からです〜」
「おぉ〜、あそこはお茶が美味しいんだよね〜」
女子大生たちに話題を振りつつ、巧は心の中でニヤリと笑った。
――第一段階、彼女たちの興味を引くことに成功。第二段階へ移行する♪
「そうだ。お茶といえば、この近くにも美味しい喫茶店があるんだよ。良かったら一緒に行かない?ボク、おごっちゃうからさ♪」
「え〜、今から?」
「うん、夕食までまだ時間あるでしょ?ケーキとか、すっごくおいしいんだよー!」
――釣り針にかかった獲物に情けは禁物。勢いに乗り、一気に釣り上げるべし。
ナンパの鉄則を頭に置きながら、巧は子どものように無邪気な(振りをした)口調で二人を誘う。
巧という名には「言葉巧みに嫁さんをモノにするべし」とか、そんな願いが込められているのだと、死んだじっちゃんが言っていた。
「え〜……どうしよっか?」
「ちょうどこの辺りを散歩しようと思ってたし、道案内お願いできるなら嬉しいんだけど……でも、お仕事とかはないんです?」
「ああ、そんなの全然だいじょー……」
「大丈夫じゃないよっ、この変態パンダっ!!」
「ふぎゃっ!!」
突如、背後から飛んできた早苗の回し蹴りが巧の後頭部に炸裂。
さながらゴールを目指すサッカーボールのように廊下を20メートルほど吹っ飛び、彼は壁に脳天からぶち当たって崩れ落ちた。
「死んだか……」
でっかい尻を突き出し、ピクリとも動かなくなった巧を前に、早苗は肩にかかったポニーテールを払い上げてさらりと呟いた。
「あ……あの……?」
女子大生たちがいきなりの事態に驚愕しながらも、震えた声で早苗に話しかけた。
「ごめんねぇ、お客さんたち。あのバカに何か変なことされなかったかい?」
「い、いえ……お茶に誘われたぐらいですけど……」
「そう。行かなくて正解だよ。お茶に睡眠薬でも仕込んで強姦でもする気だったのかもしれないからねぇ」
「えぇっ!!?」
「しないよっ!そんなこと!!」
いつの間に復活したのか、巧は女子大生と早苗の間に割って入り、猛然と反論した。
「ち、しぶといねっ……!」
早苗は舌打ちをしながら、ふたたび巧の顔面に拳を叩き込んだ。
「ふぎゅっ……!!」
「……お客さん。ここから先はちょいとバイオレンスな描写やグロテスクな表現が含まれます。あんまり見世物にできるもんじゃないので、即刻お部屋にお帰りを」
「は……はいっ……!」
ドスのきいた目付きで冷ややかに言われ、女子大生たちは慌ててその場を逃げ出した。
「あぁっ、せめて名前と電話番号だけでも……」
「この期に及んで何言ってんだい!!」
「ぐはっ!!」
のたのたと女子大生を追いかけようとした巧に、またも早苗の拳がヒットする。
「あうあう。何すんだよ、あねご〜……」
「黙れ変態っ!なんでこんなことをしたのか、納得のいく説明をしてもらおうか?」
早苗は足元で尻餅をついて転がっている巧の腹に、原型を留めないほどぐしゃぐしゃに潰れた先ほどのデジカメを叩きつけた。
「げ……!あいつら、しくじっちゃったか……」
「やっぱりあんたの差し金か!!どういうつもりだい!!」
「そ、それは……」
「それは!?」
早苗にぐっと胸ぐらを掴み起こされ、巧は窒息しそうになりながらもこう告げた。
「あ、あねごのこと、好きなんだもん……」
「はぁ!?あんたは女なら誰でもいいんじゃないの!?」
「……にゃは、そう見える?」
「どう見てもね」
「さっすがあねご、大正解♪」
「こいつ……この世の全ての女のために、七千回死んできな!!」
早苗は文字通りの猛虎と化した顔つきで、巧の頭上に拳を振り上げた。
「ひぃっ!あ、あねご、今のは冗談っ……」
「問答無用!!」
――やばっ、調子乗りすぎた。マジで死ぬかも。
巧はぎゅっと目をつぶった。そして……
ぽかんっ。
と、意外すぎるほど軽いげんこつが巧の頭に落ちた。
「ん、んぁ?」
きょとんと目をしばたかせる巧の顔を見つめ、早苗は目を細めた。
「あねご?」
「あんた、もしかしてわざとアタシを怒らせようとしてんのかい?」
「う……いや、そんなことは……」
早苗は大きくため息をついた。
「あんたを拾ってやったことが、アタシの人生最大の失敗だわ。も、馬鹿らしくなってきた」
「え、えっ?」
「今日あんたを殴るのはやめとく。でも次やったらクビだからね。覚えときな」
早苗は巧を離すと、それだけ言って立ち去ってしまった。
巧は、見逃さなかった。
早苗の青く鋭い瞳は一瞬、自分を通して別の何かを見ていた。
廊下に独りひざまずき、彼はがっくりと気落ちした様子でつぶやく。
「お見通しか。あねごぉ……」
「いやいやいや。全然意味わかんねー」
「うぉわ!?」
ぬっ、と、いきなり背後から健介が顔を出し、巧は思わずのけぞった。
「びびびびびっくりしたぁ……なんだよ健介、見てた?」
「まぁな。ってかおまえ、何がしたいんだよ?早苗姐さんの盗撮するかと思ったら他の女の子に声かけてるし、早苗姐さんに怒られて許してもらったのに凹んでるし」
「別にー。ただの暇潰しだよぉ」
「顔にウソって書いてあるぞ?」
「え、マジで!?」
「ウソ」
「はふぅ」
巧はぐったりとした表情で立ち上がると、健介の顔をじっと見つめて言った。
「なぁ健介……」
「ん?」
「仕事終わったら、飲みにいかない?」
「それだけはヤだ!!」
即答。巧は極度の酒乱だ。
一度、酔った彼にひどい目に遭わされた健介はそれ以後、頑なに巧と飲みに行くことは避けている。
「しゃーない……たまにゃ独り酒も悪くないかぁ……」
いつになく落ち込んだ様子で、巧は背を向けた。
そんな彼の様子がふと気になり、健介が思わず手を伸ばす。
「おい、巧……?」
「……一つだけ言っとくかなぁ」
足を止め、振り返らずに巧が口を開く。
「今日さ、命日なんだよねぇ」
→第8話 「えたーなる・トラいあんぐる」
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