第5話
「思い込んだら黒毛和牛!」


  一年前の夏の早朝、時刻は4時半。
 温泉宿、楽運荘の静かな廊下を、彼は大きく伸びをしながら歩いていた。
 ウシ族、高校三年生。褐色の毛皮に包まれた、小柄だががっしりとたくましい体つきに、少し幼さの残る顔立ち。
 短く刈った髪から、申し訳程度に小さな二本の角が顔を出している。

 松阪幸平。

 山を二つ隔てた県の赤城高校の野球部に所属している彼は、夏の高校野球での遠征で、仲間たちと共に楽運荘に宿泊していた。
 この日、緊張からか早朝に目を覚ました幸平は、散歩がてらに楽運荘の中を見て回っていた。
 森の木々に包まれているこの温泉宿の朝はとても涼しく、ランニング一丁に短パンのみという格好では少し肌寒ささえ感じる。
 彼の体重に少しきしむ廊下を渡りながら、物珍しげに辺りを見回す。
 誰もいない早朝は、普段より音や匂いに敏感になる。
 聴こえてくる鳥や虫の鳴き声と、温泉の少し甘酸っぱい匂い。

「気持ちいー……」

 素直な言葉が口から漏れた。
 彼が少し足を進めると、温泉の匂いをかき消すように、今度はとても香ばしい、いい匂いが漂ってきた。
 思わずくんくんと鼻を動かし、匂いのする方向に自然と足を運ぶ。
 匂いの出所は廊下を曲がった先にある、木造のドアの向こうからだ。
 近づくと、どうやら魚を焼く匂いだとわかった。

 ぐきゅううぅぅぅぅっ……

「うっ……」

 確信した途端に鳴り出す腹の虫に、幸平はぽっこりと出たお腹をさすった。
 部屋に戻って、カバンの中のパンでも食べようか。
 そう思って引き返そうとしたのだが、意に反して足がその場を動こうとしない。焼魚の匂いが全身を縛っているかのようだ。
 ごくり、と音を立てて生唾を飲む。
 幸平は恐る恐る、調理場のドアを少しだけ開けて中の様子を覗いた。

「……!」

 思わず目を丸くする光景が広がっていた。
 何百個ものおにぎりと焼鮭が、台の上に並んでいる。
 とてつもない量だが、これは自分たち高校生があっという間に平らげてしまう朝食なのだ。
 そのためにいったいどれだけの手間がかかっているのだろう?
 幸平は目の前の食べ物に、素直に圧倒された。

 その向こうで、一人の大柄な男が大鍋三つ分の味噌汁の味見をしていた。
 いかつい風貌のサイ族の男性で、その体格はまるでプロレスラーのようである。
 木張りの窓から差し込む朝日に照らされる、隙のない、険しい目つき。

 見つからない内に、やっぱ部屋に帰ろう……
 少し怖そうな人だと、そう思った幸平がドアを閉じかけた時、後ろを向いたままのサイ族の男の野太い声が響いた。

「待ちな、ボウズ」

「は!? はいっ!!」

 幸平は思わず裏返った声で返事をした。
 サイ族の男は味噌汁の鍋に蓋をすると、厳しい目つきのまま振り向き、幸平の方に向かってゆっくりと歩いてきた。
 幸平の手が扉に当たってふわりとドアが開き、二人が初めて正面から対峙する。
 幸平の胸が恐怖に高鳴っていく。

「あの、ごめんなさいっ!オレ、いい匂いがするもんだからつい……」

 ガチガチに緊張して深く頭を下げる幸平の肩に、男がゴツゴツとした岩のような手を置いた。

「ひっ」

「顔上げな」

「え……」

 少し、優しさの混じった声だった。
 幸平が恐る恐る頭を上げると、目の前の男の顔は先ほどとは違い、かすかに微笑んで見えた。

「腹減ってんだろ、食ってくか?」

 男の差し出した左手には、野球のボールのような丸いおにぎりが握られていた。

「あ、ありがとうございます……」

 おにぎりを受け取った幸平の足元に、その男は部屋の隅に置いてあった丸イスを持ってきた。
 促されるままにイスに座ると、幸平はおにぎりを一口頬張った。

「……うまいっ!」

 思わず目を丸くした。米と塩、海苔だけのシンプルなおにぎりなのに、それぞれの素材の良さが十二分に詰まっている。
 ツヤとコシ、弾力のバランスが絶妙な白米。身体に残った気だるさを吹き飛ばすように効いた塩。そしてパリッとした、それでいて食べ応えのある海苔。

「このおにぎり、すっごいうまいですっ!」

「はは、握り立てだからなぁ」

 笑いながら返事をし、その男はすでに調理の作業に戻っていた。
 ただ黙って、おにぎりを握り続けている。ゴツゴツとした両手で、ぎゅっと力を込めて。
 その背中に、幸平は胸に何か引っかかるものを感じた。

 ――なんだろう……この人、どこかで……

(幸平、握りたてのおにぎりだ。うまいぞ?)

 重い、暖かい声が脳裏に響く。ずっと昔の記憶。しかし、その人物の顔は深い霧がかかったように思い出せない。

 ――父さん?

 幸平は手の中のおにぎりと、調理場の男の背中を交互に見つめた。
 似ているのだ。幼い頃、いなくなった父親に。
 そう思えば思うほど、幸平の胸は何故か大きく締め付けられるような気がした。
 初めて抱いたその感情の正体も知らず、幸平はがむしゃらにおにぎりを頬張る。

「おじさん、ごちそうさまでした!」

 その言葉に、男がわずかに幸平に視線を向けた。

「おう。何だったら、そこに並んでるの食ってっていいぞ」

「え?でも……」

「どうせ朝食に出す頃にゃ冷めてんだ。あったかい内に味わってもらえる方が俺ァ嬉しいね」

「じゃ、一個だけいただきます!」

 幸平は喜んで台の上のおにぎりに手を出した。

「こんな時間から準備してくれてるんですねぇ」

「まぁな。おまえさんたちが腹減ってちゃ、勝てる試合も勝てねぇだろ?」

「はい……ありがとうございますっ」

「応援してるぜ、ボウズ」

「がんばります!」

 頬を赤らめ、黙々とおにぎりを頬張る幸平の姿を、男はただ黙って見守っていた。
 幸平の胸の高鳴りは、先ほどまでとは少し違ったものに変わっていた。

 楽運荘板長、西城哲也。

 彼にもらったおにぎりの味と、その優しい笑顔が、幸平の頭にはずっと残り続けた。
 この夏の間、途切れることなく、ずっと。


 それから数週間後、炎天下の甲子園球場。
 幸平はマウントの上で左手に白球を握り締めていた。
 夏の高校野球、決勝戦。
 幸平の所属する赤城高校は、決して野球の名門校ではない。それにも関わらず、粘り強いプレーで勝ち進み、この一戦を迎えていた。
 バッターボックスに立ち、バットを構える相手校の打者。
 九回裏、2アウト満塁。点差はわずか一点だが、幸平たちのチームが優位に立っている。
 勝敗は、投手である幸平の肩にかかっている。

 もし自分の投げた球が打たれれば、確実に負ける状況。
 だが幸平はそのプレッシャーを、こう捉え直していた。

 ――オレの球は打たれない。だから……

 すっと短く深呼吸をし、瞳に強い意志を込めて正面を見据える。
 太い両腕が天を向き、彼の頭上の太陽を隠した。
『打たれない、絶対に。』その『思い込み』が、幸平の武器だ。

 ――確実に、勝てる!!

 幸平の左手から、真っ直ぐに、力強い直球が放たれた。

 ――そう、これが。

「ストライィィィクッ!!」

 ――オレの、最後の甲子園。

 キャッチャーのグローブにしっかりと受け止められたボール。
 実感を伴わず、湧き上がってくる『優勝』の二文字。
 一斉に湧き上がる歓声、駆け寄ってくる仲間たち。
 それらすべてを全身で受け止めながら、幸平はぼんやりと想った。

 ――あのおにぎりが、食べたいなぁ……

 
 その時、歓声が上がっていたのは球場だけではなかった。


 温泉宿、楽運荘。
 その事務所では、従業員総出でテレビを通して試合の行方を見守っていた。

「うおっしゃあぁぁぁぁぁっ!!!」

 勝敗の決した瞬間、座っていたイスを蹴り飛ばして西城哲也が大声を上げた。
 彼は決して感情を隠すことがない。
 喜ぶ時には全身を使って喜びを表し、悲しむ時には全身を使って泣く。
 たった今も、彼の喜びの象徴として飛んでいったイスが乾健介の後頭部を直撃し、彼は意識不明の重態となってしまっている。

「おやっさん、もうちょっと抑えてくださいっす〜……」

 ぐったりと横たわる健介をつっつきながら、小田貫鼓が声をかけた。

「馬鹿野郎っ、これが喜ばずにいられるかってんだ!」

 大げさに鼻をすする西城の後ろから、受付にいた女将、猫柳マサ子がひょいと顔を出した。

「勝ったのかい?あの子たち」

「もちろんでさぁ、女将さんっ」

「それはそれは……私たちも鼻が高いわねぇ」

「やっぱオレの料理のおかげだな、うん」

 西城は自信満々に胸を張った。
 成長期でよく食べる球児たちに、少しでもスタミナが付けばと苦心して料理を振る舞った西城の努力は半端なものではなかった。
 用意する量はもちろんのこと、普通の懐石よりも肉料理を多めにしたり、細かい気遣いは球児たちにも絶賛された。

「あ、西城さん、インタビュー見てください!」

 テレビを食い入るように見つめていた、仲居の犬塚理緒が声を上げた。
 彼女は楽運荘の看板娘で、俗に言う「今時の女の子」という表現が似会う、イヌ族・ゴールデンレトリバー種の少女だ。
 テレビの画面では先ほど投手を務めていたウシ族の少年が、レポーターのインタビューに答えているところだった。

「そうそう、このボウズだ。プロ入りしてもすげぇ投手になるぜコイツは」

 理緒が画面を見ながら、西城にほんのりと笑いかけた。

「西城さん、この子のことずいぶんお気に入り?」

「ん。まぁな」

 西城が一際大きい声を上げて応援するのは、彼が投げる時だったからだ。
 実際、西城は特別にどこかの高校をひいきしているわけではなかった。
 その西城が唯一、特別に扱っているのが松阪幸平だった。
 あの朝、たまたまおにぎりを食べさせた。それだけのことだが、幸平のことを西城に印象づけていた。
 真面目で不器用そうな印象の少年だったが、試合でプロ顔負けの剛速球を投げることを知り、驚いた。
『こいつがもしプロになって売れたら、ちょっとだけ鼻が高い。あいつにおにぎり振る舞ってやったのは俺だぞってな』
 そんなことを考えたりもした。
 それが、本当に彼の剛速球が優勝を決めることになったとは。

 西城は年甲斐もなく興奮しながら、テレビのインタビューに耳を立てた。

『松阪くんは名投手としてチームを引っ張ってきたと思うのですが、この夏を振り返ってみていかがですか?』

『いやあ、オレ、ずっとおにぎりの味が忘れらんなくって……』

『は?はぁ。えー、では、当然色んなプロ球団も、あなたに目を付けてると思うんですが、卒業後のことはどう考えていますか?』

『プロ、ですか?』

『はい。やはり地元の宙日ドニャゴンズに?』

『……オレ、プロ入りはしないつもりで……』


「な、何だとぉっ!!?」

 どがしゃあっ。

 幸平の言葉を聞き、西城がものすごい勢いでテーブルをひっくり返した。

「西城さん落ち着いてっ!!」

 理緒が慌てて制止にかかる。このままではテレビを破壊してしまいそうなほど、西城は激怒していた。

「あいつの投球は才能だぞ。なんであのボウズ、それを無駄にするようなことを言う!」

「才能……?」

 おとなしく座っていた鼓がその言葉に、じっとテレビの中の幸平を見つめた。
 やり遂げた後の疲労感とはまた別の疲れが、彼の瞳からは感じられたような気がした。


 幸平が地元の小さな町に凱旋すると、見慣れた商店街のあちこちに『赤城高校、優勝おめでとう!』だの、『祝 優勝!赤城高校感謝セール』などとポスターが貼ってある。
 いつも高校の帰りにメンチカツを買い食いしていた肉屋のおばちゃんが、幸平を見つけると大量のメンチカツの入った袋を手渡してくれた。

「たはは、おばちゃん。ありがたいけど、こんなに食えないよー」

「いいのよ〜。うちのお店もすごいのよ、優勝校ゆかりの店ってことでテレビの取材とかすごくって、もう大繁盛!本当によくやってくれたわ〜」

「そりゃどうも。忙しいからって、メンチカツの味落とさないでくれよー?」

「まぁ、幸ちゃんったら!」

 幸平はニッと笑って、メンチカツを頬張りながら商店街を抜けた。

「大繁盛、かぁ」

 静かな住宅街に入り、ふと肉屋のおばちゃんの言葉が頭をよぎる。
 町おこしとか、経済振興とか、自分たちのしたことは社会的にも大きな意味を持っているということは知っている。
 当然、プロ野球に踏み込んで活躍できれば、物凄い額の年俸を得ることも可能だろう。
 野球と経済の関係についても幸平は少しは知っていたが、それを思えば思うほど、自分がしたいこととはかけ離れているように思えた。

 ――ただ、頑張って投げた。そんだけのことなんだけどなぁ……

 妙に虚しくなってため息をつくと、自分の家の前に大きな人だかりができているのに気が付いた。

「え……」

 慌てて早足で近づくと、カメラを構えた何人もの記者たちが、家の玄関先に密集していた。
 幸平と同じウシ族の母親が、家の扉の前で困った顔で立ち尽くしている。
 幸平が駆け寄るにつれ、記者たちが何を言っているかがわかってきた。
 彼はゾッとするものを感じ、思わず家の前で立ち止まった。

「どうして幸平くんはプロ入りを拒んだんでしょうか?」

「プロ野球選手だったお父様が失踪されたことと、何か関係がおありですか!?」

「何か一言、お願いします!」

 幸平の母は気丈に「何もお話することはありません!!」と繰り返し叫んでいる。

「なんだよ、これ……」

 幸平が思わず呟いた一言。それに記者の一人が気づき、大声を上げた。

「松阪くんですね!?この度は優勝おめでとうございます!」

「プロ入りを希望しないと答えておられましたが、それは事実でしょうか!?」

「いったいなぜ!?」

 次々に群がってくる記者たち。
 幸平は何も答えずに彼らをかきわけ、母の手を引っつかむと、家の中に逃げ込んだ。

「幸平……?」

 心配そうに顔を曇らせる母を横目に、幸平は家のドアに鍵をかけ、その場にしゃがみ込んだ。

「ごめんな、母さん。迷惑かけちゃって」

 母親に、幸平は申し訳なさそうに頭を下げた。
 母は何も言わずに優しく笑うと、幸平の頭をそっと撫でた。

「……おめでとう。そして、お疲れ様ね」

「……うん、オレ……」

「あんたが納得できるなら、私は何も言わない」

 幸平の母にはわかっていた。息子がどれだけ野球を好きでも、決してそれを自分の生きる道にしようとはしないであろうことが。
 幸平が野球というスポーツを通して何を見ていたのかを、その母親は感じ取っていた。


 物心ついた時から、オレはボールを投げていた。
 プロ野球で活躍していた父さんと、キャッチボールをするのが好きだった。

 ある朝目が覚めると、いつの間にか父さんはいなくなっていた。
 それからオレは、壁を相手に投げ続けた。
 朝から晩まで。ボールがボロボロになり、壁に消えない跡がつくまで。
 
 そうすれば、父さんがそこにいるような気がして。
 オレはただ、そう思い込んでいた。
 野球を続けていれば、父さんにまた会えると思っていた。
 
 父さんがキャッチボールの後に必ず作ってくれたの、何だっけなぁ。

 ああ、そうだ……
 あの時、胸が鳴ったのは、そういうことだったんだ。

「あのおにぎりが、食べたいなぁ……」

 幸平の中で、あの楽運荘での朝から何かが回りだしていたのだ。静かに、ゆっくりと。


 ――そして、あの夏の終わりから、一年が経った現在。
 夏休みの繁忙期を過ぎ、客足も落ち着いた楽運荘の玄関先を、鼓がのんびりとホウキで掃いていた。
 9月の初めとはいえ、じりじりと差す日差しはまだまだ暑い。

「これ終わったらお風呂入ろ……」

 ぐっしょりと汗で滲んだ額を、首にかけていたタオルで拭う。
 その時、急な風が吹いた。

「うわっとっ」

 ふわりとタオルが宙に舞い、飛ばされていく。
 慌てて駆け出そうとする鼓の目の前で、タオルがピタリと受け止められた。
 玄関の向こうで、がっちりとした体格のウシ族の少年がタオルを手に、鼓に頭を下げた。

「こ、こんにちはっ」

 妙に緊張した声で、少年が鼓にタオルを差し出した。

「ありがとうっす♪あ、入り口はあちらっすよ〜」

 鼓は少年に歩み寄ると、後方の楽運荘の入り口を指し示したが、彼はなんだか妙に強張った姿勢のまま動こうとしなかった。

「……?」

 不思議に思い、鼓はじっと彼の顔を見つめた。見覚えがある。そう、確か。

「あ……もしかして去年の甲子園の……!」

「は、はい。オレ、松阪幸平って言います!」

「やっぱりそうっすよねぇ。去年は優勝おめでとっす!あの時はもううちのみんなも大喜びで……」

「ど、どうも」

 一瞬、彼の顔に暗い影が落ちたのを鼓は見逃さなかった。

「え、えっと。今日はまたどうしてここに?」

 鼓の問いかけに、幸平はしばらくの間、押し黙った。
 曇りのない瞳をおろおろと不安げに惑わせ、やがてゆっくりと口を開く。

「あの人は、いますか?」

「あの人?」

「板前さんで、でっかくてっ」

「……西城さんっすか?」

「西城さんっていうんですか……」

 幸平の言葉に、鼓は去年の夏の西城の暴れっぷりを思い出した。

『あいつの投球は才能だぞ。なんであのボウズ、それを無駄にするようなことを言う!』

 その言葉が、目の前の幸平に重なる。
 果たしてこのまま会わせてしまっていいものかどうか。鼓は顔を曇らせた。

「あ、もしかしてお留守ですか?ならいいんです、オレ、帰りますから」

「あ、いや、いるような、いないような……えっと……」

 鼓が返答に困っていると、まさにこのタイミングで、あの野太い声が背後から聞こえてきた。

「おい鼓〜、まんじゅう作ったけど、食うかぁ?」

 紙袋いっぱいのまんじゅうを持ってどしどしと歩いてくる西城に、鼓が気まずそうに振り向く。

「西城さん、そんなマンガみたいなタイミングで来なくてもいいじゃないっすかぁ……」

「お?何がだ?」

 西城は鼓の向こうに、幸平の姿を見た。
 二人の目が合い、西城はピタリと足を止める。

「おぉ、ボウズは確か……」

「こ、こんにちは……」

 何か言いたげな幸平の表情を察すると、西城は鼓にまんじゅうの入った袋を持たせた。

「これ、中に戻って食ってな」

「は、はいっす」

 まさかいきなりぶん殴ったりしないかと不安になりながらも、鼓はひとまず西城の言う事に従って楽運荘に戻って行った。

「さぁて、どうしたボウズ?俺に何か用か?」

 鼓がいなくなったことを確認し、西城は幸平の肩に手を置いた。
 あの夏の朝と同じように。

「お、オレ、松阪幸平って言います!去年はお世話になりました!!」

 たどたどしく言葉を紡いでいくうちに、幸平の額から大粒の汗が滲み出す。
 高鳴っていく鼓動。息が荒い。
 幸平はぎゅっと拳を握り締め、まっすぐに西城に視線をぶつけた。

「オレをっ……!」

 言葉に詰まり、唾を飲み込む。火照った顔で搾り出すように、幸平は叫んだ。

「オレを、弟子にしてください!!」


→第6話 「その美味さ、サイジョウ級!?」

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