第四話
「猫の陰謀」
楽運荘から歩いて二十分ほどの場所に、五年前に廃業になった病院がある。
五階建ての大きな建物だったが、かつての白く清潔なたたずまいはどこにもない。
夕暮れの中、何だか妙な寂しさを感じる建物だった。
二人のイヌ族の少年を引き連れたミナはそれを見上げ、自慢気に胸を張った。
「どう?なかなかのもんでしょ」
「何て言うか、普通に怖いや」
のほほんとコウが答える中、リュウが彼の背中にしがみついてプルプルと震えていた。
「おれ、帰りたい……」
「リュウ、こういうの苦手なんだ?」
「うん……」
「だから連れて来たの。面白そうだから」
「この性悪女〜!」
怨めしそうに悪態をつくリュウには全く動じずに、ミナは病院の中に足を踏み入れた。
「さ、日が暮れない内に行くよ?」
ミナは手に持った二つのキーホルダーをちらつかせた。一方にはペンギン、もう片方にはフクロウのマスコットが付いている。
肝試しの準備として、予めセッティングに来たのだ。
これを病院の最上階に隠し、二人に探させる。
先に取って戻ってきた方が勝ちというわけだ。
「でもさ、本当に大丈夫なのかなぁ?」
嫌がるリュウをずるずると引きずりながら、コウが首を捻った。
「何が?」
「ここ。実は普通に有名な心霊スポットだったりとかしない?」
「大丈夫だと思うよ。私が見た限り、そういうヤバい気配とか感じないし」
「ミナさん、霊感あるんだ?」
「ない」
「あちゃ〜」
「あちゃ〜じゃないって!ヤバいだろ、それ!」
「まぁまぁ」
ミナは全く気にも止めず、コウにペンギンのキーホルダーを放り投げた。
「……っと」
不意に飛んできたキーホルダーをおたおたと受け止めたコウに、ミナが指示を出す。
「コウくんとリュウは西病棟の四階の、適当な部屋にそれを置いてきて。私は東病棟に行くから」
「りょうか〜い」
気の抜けた敬礼をするコウに手を振り、ミナは東病棟に向かう。
別々の病棟に隠したキーホルダーを部長と鼓に探させ、先に見つけた方が勝ち。
そういうルールだった。
「……ホントはぼくがやってみたいんだけどね〜」
「コウってば、意外とそういうの好きなのね……」
げんなりと顔をしかめるリュウのことをからかうように、コウはウキウキとはしゃぎながら西病棟の入り口に向かった。
「あれ?リュウたちは?」
気分をほぐそうと、一人で温泉に浸かっていた部長が部屋に戻ると、カオルとアキホがニャンテンドーDSを付き合わせて何かのゲームの対戦に興じていた。
「くっ……やりますねカオル先輩っ」
「ふっ。身の程を知るがいい」
「あの〜、リュウたちは〜……」
「なら、これでどうです!」
「むっ……そんな手を使うとは……!」
「……だからリュウとコウとミナちゃんは……」
「「うるさいっ!」」
「ごめんなさい……」
ソプラノとバス。二人に見事なハーモニーで怒られ、部長はしゅんとしっぽを丸め、延々と続く二人の対戦を眺めるしかなかった。
「……ああ、あの三人なら肝試しの準備に出掛けた」
カオルの口からたったそれだけのことを聞くことができたのは、それから二十分後だった。
「はぁ。本当にやるのか〜」
あぐらをかいてのんびりと答えた部長に、アキホが手にもったニャンテンドーDSをかざして見せた。
「部長もやります?ザ・温泉卓球DS」
「ここでやることかっ!!」
その夜、青草高校演劇部の面々と鼓、そして健介の八名がぞろぞろと廃病院の前にやってきた。
演劇部の一同はすでに楽運荘で優雅な懐石料理を楽しみ、お腹いっぱい、元気そのものだった。
それに対して鼓と健介は、何とか仕事を早めに切り上げて来るのが精一杯で、ろくに夕食を食べる暇もなかった。
とりあえず二人で黙々と、咄嗟に部屋から持ち出してきた菓子パンを頬張っている。
「……おまえと高校生のお遊びに、なんで俺が付いてこにゃならんのだ」
「健兄ぃはおいらが心配じゃないんっすか!?」
「心配することでもないだろーがよ」
「ていうか、ぶっちゃけ未成年ばかりだからこんな夜遅くに何かあったら責任取る役っすよ」
「面倒事は俺ばっかりかよぉ・・・」
不満たらたらに、健介はカレーパンにかじりついた。
その隣では。
「リュウ、大丈夫?」
「ん?」
コウに声をかけられ、リュウはきょとんと首をかしげた。
「夕方より、更におどろおどろしい雰囲気だけど……」
「ああ。おれたちが入った時、結局何もなかったし。たいしたことないんじゃない?」
「だね。それに今回はぼくたちが入るわけじゃないし」
そう言って、ちらりと部長を見る。
意外なことに部長は特に怖じ気づいた様子もなく、鼻唄を歌いながら屈伸したりして身体をほぐしていた。
「あちらさん、なんかやる気満々みたいだぜ?」
その様子を眺めていた健介が、のんびりとコロッケパンを頬張っている鼓の肩を叩いて言った。
「ん〜、まぁ、おいらもこういうのは嫌いじゃないんすよ?」
「こりゃまた意外だなぁ」
「タヌキ族は昔っからそういうオカルトには耐性ついてるらしいんすよ」
「へんっ。その腹鼓ってのも、どうせオカルトみたいなもんだろうしな!」
いつから聞いていたのか。部長が鼓に挑発するように言った。
「む、失礼っすね!」
ずいずいと部長に近づきながら、鼓が怒鳴った。
「腹鼓はオカルトじゃなくて、神秘的な力っす!!」
「それをオカルトって言うんだよ!」
今にも掴みかかりそうな勢いで、二人のタヌキがあーだこーだと怒鳴り合う。
ご丁寧に、二人の額からマンガみたいに火花がぶつかっていたりする。
「やるか、こんにゃろぅ!」
「いい度胸っす!腕っぷしにかけてはおいらの方が……」
すぱこんっ!!
すぱぱんっ!!
ミナが雑誌を丸めて作った即席の棍棒が、目にも止まらぬ速さで二人を地面に叩き倒した。
「ここであんたらがグダグダやり出したら話が進まないでしょっ!!書いてる人が困るから自粛しなさい!」
「書いてる人って誰だよー!」
「うっわ、それは触れちゃいけないことっす」
「やかましいっ!!いい?あんたたちの役割は私の仕組んだ肝試しをただ黙々と進行し、いろんなトラブルに見舞われてそれなりに話を盛り上げること。それだけよ!そしてその後はお楽しみの『青草看板娘のドキドキ入浴シーン・ポロリもあるよ♪』が始まるのよ!!」
「いや、たぶんそれをやっても誰も喜ばないと思うよおいら……」
「そうっすよ。客層というものを少しは意識してほしいっす……」
「生々しくも見苦しい現実的なブーイングの時だけ息を合わせるんじゃないわよ!」
「「はいっ」」
びしぃっ!と棍棒を突き出してふんぞり返るミナに、二人は慌てて背筋を伸ばした。
ミナはふぅ、と息を吐き、棍棒を病院の方に向けた。
「……というわけで、そろそろ始めるわよ」
「ういうい……」
「はいっす……」
「ルールは簡単。それぞれ東病棟と西病棟の四階のどこかに隠した、フクロウとペンギンのキーホルダーを探して持ってくること。先に帰ってきた方が勝ちよ」
「肝試しっていうか宝探しっすねぇ」
「でも、あちこちに私たちが仕掛けておいたトラップがあるから気をつけてね♪」
「ねぇ、しつもーん」
部長が手を挙げた。
「何?」
「賞品は出るんですかー」
「カップ焼きそば三個」
「うわ、微妙……」
「じゃ、行ってらっしゃーい♪」
ミナに小突かれるように、まだ納得の行かない様子の二人はよたよたと病院の中へと消えていった。
「さて皆さん……」
二人を見送った後、アキホがおもむろに手を上げ、残った皆に声をかけた。
「部長と鼓さん、どちらが先に帰ってくるか、一口500円の賭けといきません?」
ニッコリと笑うアキホの手には、鼓と部長の名前が書かれた箱が二個、用意されていた。
それを目にするや否や、カオルと健介がやたらと深刻な顔でアキホに近づいた。
「おまえな、部長たちが頑張ってんのに不謹慎だろう」
「まったくだ。こんなことが鼓たちに知れたら……」
ちゃりん
ちゃりんっ
「はい毎度〜♪」
真面目に口走りながらも真っ先に、カオルが鼓の箱に、健介が部長の箱に五百円玉を放り込んでいた。