第五話
「狸と狸のホラーショウ」
人気のない暗い建物というのは、それだけで薄気味悪いものだ。
だが東病棟に入った部長は、これといって動じる様子もなく、暗い廊下を歩いていた。
じっとりと湿った空気が身体にまとわりついて気持ち悪い。
明かりはミナから渡された懐中電灯と、窓から差す月の光だけだったが、部長に
とっては大した問題ではなかった。
よく夏休みにイタズラで夜中の学校に忍び込んで遊んだものだし、卒業した先輩の中にはこういった肝試しを仕組むのが好きな人もいた。
その度に、何か異常な事態が起きたということも特になかった。
はっきり言って得意分野なのだ。
「ふふん♪」
鼻唄を歌いながら、ずいずいと進んでいく。
問題があるとすれば、ミナが隠したキーホルダーがどこにあるか検討が付かないことぐらいだ。
探すのに手間取った場合、単純に時間差で負ける恐れがある。
部長は少し歩調を速めた。やがて二階への階段が見えてきて、足元に気を付けながら登る。
その時だった。
(…ーごーめー かーごーめー…)
「んぁ?」
突如、階段の上から聴こえてきた歌声に思わず足を止め、部長は耳を立てた。
(かーごのなーかのとーりーはー…)
「…!!」
しゃがれた、老婆の歌声。
(テープレコーダーでも仕込んであるのか…?)
部長は注意深く階段の上辺りを懐中電灯で照らしてみたが、それらしいものは見当たらない。
何よりも、それは機械を通したような声ではなく、明らかにその場に誰かがいるような気配もした。
「変だな…」
部長が怪訝そうに階段を登り始めたところで、老婆の歌声は遠くに移動していくようにかき消えていった。
「誰かいんのか〜?」
二階の廊下で呼び掛けてみた時には、すでに歌声も気配も消え去っていた。
「う〜む…」
部長はしばし腕組みをして頭を捻った。
テープか何かを仕込んではいないとすれば…楽運荘の女将、ミナのおばあちゃんが幽霊役で隠れていたりする可能性もある。
というか、それぐらいしか考えられない。
部長はそれが『本物』であるという可能性は端から考えず、続いて三階への階段を昇り始める。
その時、部長のポケットに入っていた携帯が派手な着メロをかき鳴らした。
「うぉっと…」
部長は多少の動揺を見せながらも、オレンジ色の携帯を取り出した。
画面には「非通知設定」の文字。
部長は数秒間頭を捻り、呑気な口調で電話に出た。
「はい、もしもーし」
『うらめしやぁ……』
おどろおどろしい、女の声。
「はぁ」
『呪ってやる…殺してやる…』
「…んー…あのさ、ちょっと最近太ったよね?いつも放課後にドーナツ買い食いするのやめようぜ…」
『はぁ!?アンタ、女の子にいきなり何言ってんのよ!ホントに殺してやるから覚悟しなさい!!』
ガチャッ。
女の幽霊らしき者が怒鳴りながら電話を切り、しまった、と部長は青ざめた。
どうやらお化けより恐ろしいものを刺激してしまったらしい…
「カオル先輩っ!あのバカタヌキ、ちゃんとしつけてくださいよっ…!!」
「苦しい。苦しい。」
「やめて下さいミナ先輩!カオル先輩が死にます!」
女の幽霊を演じていたミナは、怒りに任せてその場にいたカオルの首を締め上げていた。
無表情のまま昇天しそうになるカオルと、必死にそれを止めるアキホ。
「若いっていいなぁ」
などと、健介が缶コーヒーを飲みながら場違いなコメントを洩らしている。
「あ、そうだ、鼓にも電話をしないと…」
ミナは瀕死のカオルを軽く投げ捨てると、再び携帯を手に取った。
その頃鼓は、開始前の威勢とは裏腹に、かなりぎこちない足取りで西病棟を進んでいた。
途中、ミナの仕掛けた「ドアの隙間からいきなりモップが倒れてくるトラップ」に引っ掛かり、腰を抜かしそうになった。
床に仕掛けられた、湿ったタオルを踏んだ時は思わず悲鳴を上げてしまった。
恐怖心と暑さから、全身にかいた汗が気持ち悪い。
「もうイヤっす〜…」
半泣きになりながら、二階への階段を登ったところで、ポケットの携帯が鳴った。
「ひっ!」
恐る恐る手に取る。
表示はやはり非通知設定。
「はっ…」
鼓はいきなり青ざめた。
前に見たホラー映画で、電話に出たら死ぬという話があったのを思い出したのだ。
「どうしよう…これに出たら死んじゃう…」
というか、普通に考えてみるとミナのイタズラだと気付きそうなものだが、恐怖で判断力が鈍っていたためか、まったく気付かない。
鳴り続ける携帯。
迫り来る恐怖。
「う〜〜〜…」
鼓は困窮した末に、一つの手段を実行した。
「でいっ!!」
プツン。
携帯の画面が真っ暗になり、着信音もピタリと止まった。
「ふう♪」
『電源/切』ボタンの存在を、これほど心強く思ったことはなかった。
だが、安心したのもつかの間だった。
鼓の耳にも聴こえてきたのだ。
「か〜ご〜め〜か〜ご〜め〜…」
あの、老婆の歌声が。
「!?」
鼓は一瞬、びくりとしっぽを逆立てた。
「い〜つ〜い〜つ〜で〜あ〜う〜…」
「…あれ…?」
ふと何かを思い出したように、鼓は丸い耳をぴくぴくと動かしてその歌声に聞き入った。
「まさか…」
彼は歌声が聴こえてくる廊下の奥を見つめると、そのまま吸い寄せられるように廊下の向こうに歩き出した。
「…鼓、電源切っちゃったみたい」
外ではミナが携帯を片手にため息をついていた。
「ま、そうだろうな」
退屈そうに腰を下ろしていた健介が呟いた。
「負けず嫌いだけど怖がりなんだよ、あいつ」
「これは部長の勝ちかもねぇ…」
「ぎゃわあぁぁぁぁっ!!!」
ミナが残念そうに呟く横で、突然とんでもない絶叫が響いた。
「ななな何よっ、びっくりしたぁっ!」
悲鳴の主はリュウだった。彼は地べたに尻餅をつき、半泣きで震えながら西病棟の二階あたりを指差していた。
「い、今、あそこの窓から知らないお婆さんがこっち見てた…」
「はぁ!?」
一同揃ってリュウの指差す方向を見たが、特に何も見当たらない。
「誰もいないじゃん」
コウがあっさりと呟く。
「リュウ先輩、怖がりだから幻覚でも見たんでしょ♪」
アキホが和やかに笑いながらリュウの肩を揉む。
「絶対いたよ!!あれはきっとこの病院で働いてた看護婦さんで、ある日自分の医療ミスで患者さんを死なせてしまったんだ。
それで責任を感じて自ら命を絶ったにも関わらず、まだ死んだことに気付いていない魂が夜な夜なあんな風に徘徊してるんだよきっと!」
「…ありきたり。矛盾点多し。簡潔にまとまっていない。よって三点」
「がくっ」
「ていうか微妙だねぇ」
力説するリュウに、カオルとコウのあっさりとしたツッコミが入る。
「確かに見えたんだよぉ・・・」
納得の行かない様子で、リュウは西病棟の窓に何度も目を凝らした。
しばらくして、部長はすでに東病棟の四階にたどり着き、キーホルダーの捜索を開始していた。
四階は入院患者の病室に使われていた階で、整然と同じような部屋が並んでいる。
ほとんどの部屋は綺麗に片付けられ、何もないがらんとした部屋だった。
だが、いくつかの部屋はどういうわけだか当時のまま、ベッドや電話、テレビなどが置いてある所もあった。
理由は特に考えず、単に部長は「こーいう部屋が怪しそうだよなぁ」などと言って、のんきにベッドの下を漁ったりしていた。
「ん〜・・・奥の方が、よく見えない・・・」
部長はベッドの下から手を突っ込んで、懐中電灯で照らすのに必死だった。
でっかい尻を突き出して、それがもそもそと動いている。
背後に、青白い顔の女性が悲しげな表情で立っている、などということには気づく様子もなく。
「あ、何かあった!」
ベッドの下に、懐中電灯の明かりを反射してキラリと光るものがあるのを見つけた。
その辺に転がっていた細長い棒を使って、なんとか転がり出そうと頑張る。
「き、きつ・・・」
部長の額に脂汗がにじむ。
そのすぐ真横で、心配そうに青白い女の顔がベッドの下を覗き込んでいるのだが。
「・・・そりゃっ!」
棒の先端がその小物に引っかかったのを確認すると、部長は勢いよくそれをベッドの下から弾き出した。
キラキラと光る、それはダイヤの指輪だった。
「んぉ?」
部長の横を通り、背後に転がっていく指輪を、青白い顔の女性は嬉しそうに拾い上げた。
彼女は、いまだに気づかない部長の後ろ姿に何度も頭を下げ、指輪ごとふっとかき消えてしまった。
部長が指輪を取ろうとして振り向いた時には、ただ妙にひんやりとした風が吹いていただけだった。
「あれ、どこに転がったかな・・・」
確かに指輪のようなものが自分の後ろに転がったように見えたのだが、どこを探しても見当たらない。
不思議に思っていると、ベッドの横に備え付けられていた古ぼけた電話機がいきなり鳴り響いた。
さすがに驚いて身をすくませながらも、またさっきと同じ調子で電話を取る。
「はい、もしもーし」
『もしもし・・・』
「・・・?」
今度も女の声だが、ミナやアキホの声とは違って聞こえた。
『ずっと・・・探していたんです・・・』
「は?」
『死んだ夫にもらった指輪・・・ここに入院している時になくしてしまって・・・それで主人に会わせる顔がなく、今までここに・・・』
「え〜と、話がわからないんですが・・・」
『ありがとう・・・これでようやく、主人に会うことができます・・・本当にありがとうございました・・・』
「いや、だから、どちらさま・・・」
『太りすぎには気をつけてください。さっき、ちょっとズボンのお尻が破れかけていました・・・では・・・』
「!?」
何気にとんでもないことを言い、電話はそのまま切れてしまった。
「・・・お尻?」
慌てて自分の尻をさすると、確かにズボンの真ん中に小さな穴が空いている。
それを見ていた?
しかも、話がよく掴めないのもおかしい。
だいたい、ミナの悪戯なら携帯を使うはずだし、この部屋の電話は・・・
そこまで考えて、ようやく部長はその異常事態に気が付いた。
「え、ちょ・・・」
先ほどまで自分が話していた電話機の後ろの、白い電話線を引っ張ってみる。
抜けていた。
というか、そもそも電気が通っていないのに話せるはずが・・・
「ひいやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
激しい悲鳴を上げ、部長はキーホルダーのことも忘れてその場を逃げ出した。
鼓は、物悲しげな「かごめかごめ」の声の主を追い、暗い廊下をひたひたと進んでいた。
この声には聞き覚えがあるのだ。
そして、自分がどうにかしないとちょっと困ったことになる。
その責任感から、鼓は進んでいた。
怖さなど、今は気にならなかった。
そして、ようやく声が近づいてきた。
鼓の前に、のそのそと動く人影。
「・・・やっと追いついたっすよ・・・」
ふぅ、とため息をついた鼓に気づいたのか、人影は足を止めた。
鼓は懐中電灯の灯りを向ける。
クマ族の老婆だった。
彼女は目を丸くして、鼓の顔をまじまじと見ている。
「こんなとこにいちゃ、いけないっすよ」
優しく言って、鼓は老婆にゆっくりと近づいた。
「二人とも、まだ帰って来ないねー」
コウが、暇だからコンビニで買ってきたアイスをかじりながら呟いた。
「もうそろそろ戻ってきてもいい頃だけど・・・」
ミナが首を傾げる。
その時だった。
東病棟の方から絶叫が聞こえ、小さな人影が物凄い勢いで向かってきた。
「いやあぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「ぶ、部長!?」
「ミナちゃあぁぁぁぁあぁぁぁあぁっ」
バキィッ!!!
見事なカウンターでミナの鉄拳制裁を食らい、部長は悲鳴を上げる間もなく数十メートル先に吹っ飛び、転がり、息絶えた。
「・・・誰が太ったってのよ!!誰が!!」
「ミナ先輩、抑えて」
「抑える間もなく部長のHPがゼロだけどな・・・」
カオルが部長の屍をつんつんとつっついた。
「まぁ、これぐらいでカンベンしといてあげるわよ。それより、部長の勝ちってことでいいのかしら」
部長が勝つ方に500円賭けていた健介が、密かにガッツポーズを取った。
「いや、部長、キーホルダー持ってないみたい」
「は?それならなんで・・・」
カオルの報告に、ミナが怪訝そうに顔をしかめた。
それから数分後、西病棟からもう一人、小さい影がのそのそと歩いてきた。
「あ、鼓だ」
「ちゃんとキーホルダー持ってれば、鼓さんの勝ちですねぇ」
アキホの言葉に、カオルが密かにガッツポーズを取る。
しかしよく見ると鼓は、知らない老婆の背中を支えながら歩いてきていた。
「ひっ!!」
その人物に気づいたリュウが、ビクリと肩を震わせた。
「あ、あの人だよ・・・俺がさっき見た幽霊」
「思いっきり普通に歩いてるじゃん・・・」
コウが言う通り、明らかにその老婆は地に足もついていれば、変に透き通ったりもしていない。
「いやあ、遅くなっちゃって。おいらの負けっすかねぇ、やっぱ」
のほほんと言う鼓の横で、クマ族の老婆が頭を下げる。
「つ、鼓?その人だれ?」
ミナが恐る恐る、老婆の顔を伺う。
「いや、なんていうんすかねぇ・・・」
鼓が優しく、老婆の背中を叩いた。
「今年で92になります、熊岡トメですわ」
もごもごと老婆は名乗った。
「ご近所さんなんすけど。最近ちょっとアレで・・・徘徊癖が付いちゃって、時々夜遅くにおうちを抜け出して色んなとこを歩いてるみたいで・・・」
「そういうオチかぃ・・・」
リュウががっくりと肩を落とした。
「一応聞くけど、鼓、キーホルダーは?」
ミナの問いに、鼓は首を横に振った。
「見ての通り、それどころじゃなかったし、それにおいら、やっぱ怖くて上まで上がれなかったっすから・・・」
「引き分けってことですかぁ。なら賭け金は私の総取りですね」
「な!?」
「待て!」
アキホの決定に、健介とカオルが揃って異を唱え出した。
そんなことも知らず、鼓はトメさんを支えながら歩き出した。
「部長さんの勝ちでいいっすから。おいら、トメさん送っていくのでお先に失礼するっすね!」
「・・・とは言っても・・・」
ミナは自分の横で情けなく転がっている部長をじっと見つめた。
「こんなもん、勝ちと言えるわけが・・・」
「まぁまぁ、丸く収まって良かったじゃない」
コウが笑いながら、部長のおなかを突っついた。
ただ一人、リュウは未だに納得の行かない様子で病院を眺めていた。
「絶対出るって、うん」
その時、部長のポケットで携帯が鳴った。
「あ。ちょっと部長、携帯鳴ってる。ほら、電話電話」
「電話はイヤあぁぁぁぁぁっ!!!」
ミナの『電話』の一言で、部長はガバッと跳ね起きた。
そんな部長の様子は気にせず、ミナは部長の携帯を開くと部長の耳に押し当てた。
「ひゃ!」
『うらめしやっすよぉ・・・』
若い男性の、恨めしそうな声だった。
「ごめんなさいごめんなさいもうしません!」
『? 何言ってんすか』
「・・・って、ショウタかぃ」
『部長、オレ置いてくなんてひどいっすよぉ』
今回、お留守番をくらったもう一人の演劇部員。
シカ族の新入生の鹿島翔太だった。
「仕方ないだろ。おまえはその喋り方が鼓と被るから、ややこしいからダメだって書いてる人が・・・」
『うわっ、そんな生々しい事情は話さなくていいっすからに!!』
「で、どしたの?」
『お土産忘れないでほしいっすー ってだけなんすけど』
「わかったわかった・・・」
『んじゃ、土産話期待してるっすー!』
電話が切れた。
「なんか、無理矢理出番作ってもらったみたいね。かわいそ・・・」
妙にやるせない気持ちに包まれたところで、今回の肝試しはお開きとなった。
それからの部長と鼓の関係は、良好とは行かなかったが、これといった騒動も起きなかった。
結果的に、勝ち負けがなかったことがうまく働いたらしい。
翌日の夜は、部長が鼓を温泉に誘ったりしていた。
そこでまた何か一つ、親睦が深まるような出来事があったようだが、それはまた別のお話。
そして二日後の朝、青草高校の面々が楽運荘を離れる時が来た。
「あの、鼓」
「はいっす?」
部長が、見送りにきた鼓に照れながら口を開いた。
「色々、ありがとう・・・」
「・・・うっわぁ」
「なんだよ!」
「部長さんから頭下げることもあるんすねぇ」
「そういうこと言うか?」
「また遊びにきてくださいっす♪んで、また勝負っす。今度は負けないっすから!」
「望むところだっての」
部長と鼓が、こつんと拳をぶつけあった。
「なーんか、青春しちゃってる」
「今度は肝試しはナシで・・・」
ほのぼのとコウが感想を述べ、いまだにリュウは肝試しを怖がっている。
「今度はちゃんと勝ち負け決まるといいんだがな」
「結局今回はアキホと賭け金三等分だったし」
「何か文句あるんですかぁ」
健介とカオル、アキホはずっと賭け金のことばかり話していた。
そして、ミナは。
「元気でやんなさいよ?たまにはこっちにも遊びに来ること!」
「ミナちゃんも。あと、もうちょっとおしとやかにした方がいいかもっすよ?」
「言ってくれんじゃないのさ」
笑いながら、鼓の額をピンと弾いた。
そうしている内に、茶色いバスが楽運荘の前に停まった。
「あ、バス来たっすよ」
「うん・・・じゃ、行くね」
「お気をつけて」
六人がバスに乗り込んでいく。
名残惜しそうに見送る鼓と健介の前から、バスが徐々に動き出していく。
少女はバスの窓を開け、小さくなっていく幼なじみの姿を追い続けた。
夏の陽は高く、こののどかな風景を照らし出している。
いつまでも。
いつまでも。
<完>
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