第ニ話
「信楽・小田貫・ヤな空気」


「まさか鼓と部長が知り合いだったとはねぇ」

「知り合いってほどのもんじゃないっすけどねぇ」

六人を部屋へと案内しながら、鼓は以前病院で部長やカオルと出会ったことを話した。
希少な種族であるタヌキ族同士、お互い印象に残っていたらしい。

「リュウがすっ転んで記憶喪失になった時かな?」

「その言い方だとオレがバカみたいだろ」

ミナの言葉には時々トゲがある、とリュウは思う。

「ってことは、私たちともニアミスしてたんだ。言ってくれたら顔見せに行ったのに」

「あ〜、あの時はおいらの……」

「い、いや、あの時は俺たち急いでたからっ!」

台車に六人の荷物を乗せて後を歩いていた健介が慌てて口を挟む。
あの時、鼓の腹鼓が原因で病院が大変な事態になっていたとはとても言えない。

「さ、着いたっすよ」

鼓は廊下の両側の二つの障子扉を指し示した。

「ミナちゃんたち女の子二名様は右手の鈴蘭の間、男の子四名様は左手の向日葵の間をご用意させていただいたっす♪」

「ねぇ、おいらたち、演劇の練習に使えるような大きい部屋を貸してもらえたらありがたいんだけど……」

部長の言葉を受け、鼓は廊下の突き当たり、一際大きい障子を指差す。

「もちろん抜かりないっす。あちらの大広間をご用意させて頂いたっすよ〜。普段おいらが腹鼓の稽古に使ってる部屋だから、大声出しても問題ないっすよ」

「腹鼓?」

聞き慣れない言葉に首を傾げる部長に、ミナがフォローを入れる。

「あ、知らない?鼓、腹鼓師って仕事もやってるんだけど」

「お腹を叩くと太鼓みたいな音を出せる、珍しいタヌキさんのことですよね。本で見たことがあります」

アキホが目を輝かせながら言った。

「知らない」

部長の気のない返事に、アキホが軽くため息をつく。

「腹鼓師って言っても、まだ見習いみたいなもんっすから……」

謙遜する鼓の肩を、ミナが軽く叩く。

「ね、ちょっとみんなに聴かせてよ、腹鼓」

「えぇ!?」

「すっごいのよ、腹鼓師のタヌキって全国にも数えるほどしか……」

ミナの言葉に、他の部員たちから感嘆の声が上がる。ただ一人を除いて。

「どーせおいらは珍しくも何ともない普通のタヌキだからなー……」

部長が不機嫌そうに目を背けた。
途端に重い空気が流れる。

「あ……」

どうしよう、と鼓が健介に視線で助けを求めるが、健介も知らんぷりをして目を反らしてしまった。
この空気は良くない。

「と、とりあえず」

鼓はその場を切り抜けるべく、何とか口を開いた。

「おいらたちはひとまずこれで。何か御用の際はお気軽にお申し付けくださいっす!」

それだけ言い切ると、鼓は健介の手を引いてそそくさとその場を後にした。
部長のじっとりとした視線に追われ、鼓の背中は冷や汗でぐっしょりと濡れていた。
「何ひがんでんだよ、バカたぬき。」

青草高校の男子四名が向日葵の間に入るや否や、カオルの大きな手が部長の頭をわしわしと掴んだ。

「べ、別にひがんでなんかいないんだからっ」

「なんでツンデレ?」

そうツッコミを入れつつ、リュウが四人分の荷物を部屋の隅に片付ける。

「まぁまぁ、着いて早々にピリピリしないでくださいよ。」

コウが部屋に備え付けのお茶を注ぎ、部長の前に差し出した。
部長は黙って湯飲みを受け取り、一気に飲み干そうとして、

「ぶぁっちゃぃっ!!」

猛烈な勢いでお茶を吹き出し、湯飲みが宙を舞った。
ガシャン!
机の角に湯飲みが当たり、嫌な音が響く。

「うわっ、何やってんですか!!」

「熱いお茶だって言ってよ!」

「言わなくても湯気ぐらい見えてるだろう、このバカたぬき……」

カオルが真っ二つに割れた湯飲みを片付けにかかるが、よく見るとあちこちに細
かい破片がちらばっている。

「……駄目だこりゃ、おいリュウ」

首を動かし、リュウにフロントに電話をするように促す。
ホウキと雑巾を持って鼓が現れたのは、程なくした後だった。
「おケガはなかったっすか〜?」

「はい、すみません……」

慣れた手つきで破片を片付ける鼓に、コウが深々と頭を下げた。

「こら、おまえも謝れ」

鼓の顔を見るや否や、そっぽを向いてしまった部長に、カオルが無理矢理頭を下げさせる。

「いやいや、よくあることっすから、気にしないでくださいっす」

鼓は破片を布製の袋に入れると、新たに四人分のお茶を入れて机の上に置いた。

「鼓さん、しっかりしてますねぇ」

コウが鼓に向けて呟いたこの一言が禁句だったらしい。

「あぁもう、片付け終わったんなら帰って帰って!」

「え……」

部長が腹立たしげに言い放った言葉に、鼓が身をすくませる。

「ちょっと部長、何てことを!」

リュウが声を荒げるが、鼓の手がやんわりとそれを抑えた。

「あ、いやいや、おいらが出過ぎた真似をしたのがいけないんす。申し訳ないっす……」

鼓は部長に頭を下げ、逃げるように向日葵の間を出ていった。
「ふぅ……」

事務所に戻ったところで額に滲んだ汗を拭う。
クセの強い客は何度も見てきたが、こんな風に突っ掛かられるのは初めてだった。
心臓に悪い。そう思ってバクバクと脈打つ胸を押さえて深く息を吐く。

「どしたの?」

事務所で書類を整理していた早苗が声をかける。

「あぁいや、何でもないっす」

「ってことは何かあったでしょ」

「えぇ!?」

「何かあった人ほど神妙な顔して何でもないって言うんだよ」

「さ、さすが姐さん……」

フッと笑って、早苗が机の上に置いてある袋から丸々としたスイカを取り出した。

「これ、アタシの実家から送られてきたんだけど。食べる?」

「は、はいっす」

早苗のサッパリとした厚意に、鼓の大きな尻尾がくるりと回った。
「お客さんにからまれるのなんて、よくあることでしょー」

それが早苗の意見だった。
プッと吐き出したスイカの種が、皿の上に転がる。

「いや、絡まれるようなことは何もしてないんすよぉ」

早苗の傍らに座った鼓が、不満をぶつけるかのようにスイカにかぶり付いた。

「自分に悪気がなくっても、相手を怒らせちゃうこともあんの。ま、アンタが悪いとまでは言わないけどねぇ」

「うぅ〜……」

「唸るな唸るな。それだったら今度からあの部屋の接客、健介か誰かに代わってもらうとかさ」

「イヤっす〜……」

「なんで」

「おいらの仕事っすから」

「……難しい子だねぇアンタも。たかだか二泊三日だけの付き合いなんだから、もっと気楽にしなよ」

早苗はスイカを置いて立ち上がると、部屋の隅に置かれた冷蔵庫からペットボトルの麦茶を取り出し、グラスに注ぎ始めた。

「これだけは忠告しとくよ」

やや強い口調で話しながら、鼓に麦茶を差し渡す。

「あんたが意地張るのは勝手だけど、そのせいで大事なお客さんに迷惑だけはかけるんじゃないよ?」

「は……はいっす」

「あんたはただでさえお節介焼きなんだから。親切の押し売りは嫌がる人もいるってことは覚えとくんだね」

そう言って、鼓の額をピンと弾いた。

「でっ」

ヒリつく頭を押さえる。

「スイカ食ったら、また頑張んな」

「はいっす!」

鼓は精一杯の大きな声で返事をすると、モヤモヤとした気持ちを振り切るように、一気にスイカを食べきった。
「……で、鼓さんに対してイライラしてる原因は何ですか?」

「くっだらない理由だったら承知しないわよ。さ、吐きなさい」

向日葵の間に上がり込むや否や、アキホは興味に満ちた笑顔で。ミナは机を踏みつけながら部長に脅しかけた。

「い、いや、おいら、その……」

こういう時の女子ほど恐ろしいものはない。
からかい半分で暴力的な行為を肯定するんだからタチが悪い。
男が女に対して同じことをするのは許されないのはずるいと思う。

「リュウっ、ミナちゃんたちにチクったのおまえだろ!?」

「……リュウならコウ連れて温泉行った」

「あんにゃろ、いつの間に……」

カオルは女子二人に尋問を受ける部長を見守っていた。生暖かい視線で。

ドンッ!

ミナの足が畳の上に叩きつけるように降ろされた。
ひっ、と短い悲鳴を上げ、部長が尻餅をつく。

「さっさと言うっ!」

「……だ、だって……」

「だって?」

「なんとなく」

ビュッ……!

ミナの上段回し蹴りが部長の頭上をかすめ、茶色い毛が数本、風に舞った。

「さすがミナ先輩っ!今の蹴りはまさに全盛期の沢村忠を彷彿とさせる勢いも去ることながら、極めて殺傷力が高いであろう一撃を直撃しないギリギリの角度で打つなんて……!」

「こ、殺す気かっ!」

「さてはミナ先輩、高校生というのは世を忍ぶ仮の姿で、本業は闇夜に蠢く欲望と悪を絶つ、謎の女格闘家とかですか!?燃える〜〜〜っ!!」

何が燃えるのかよくわからないが、もう少し蹴りがずれていれば部長の首が飛んでいた。
ミナに対する認識は改めねばならないようだ。
足を崩していたカオルが、部長の背後でぴったりと正座した。

「あのね部長。私としても、理不尽な理由で幼なじみにイチャモンつけられたらいい気分しないの。わかる?」

「お、おいらとしては今の蹴りで殺される方が遥かに理不尽な気がするんだけど……」

理解の足りない者には力づくでわからせるしかないのか。
ミナがアキホに微笑んだ。

「……ねぇ、アキホちゃん」

「何ですか?」

「狸汁って美味しいかな?かちかち山に出てくるやつ」

「さぁ……私は食べたことないですね」

「どっかに美味しい狸、いないかしら。飛びっきりイキのいいやつ」

「ミナ先輩、それだったらここに……」

アキホがにっこりと笑いながら部長を指差す。

「ご……ごめんなさあぁぁぁいっ!!」

真っ青になりながら、部長は土下座を繰り返した。
身のほどをわきまえない反論は命取りだと知った瞬間だった。

「わかればよろしい。タヌキ同士、なんで仲良くできないのよ」

「う……」

「し、失礼ながら、ミナさん」

カオルが恐る恐る手を挙げた。

「何?」

「タヌキ同士だからこそ、対抗意識を燃やしているのでは」

ギクリと部長の身がすくむ。

「ふむ。そうなの部長?」

「……うぅ……」

「変なとこでプライド高いからな」

カオルが部長の頭を撫でた。

「……そうは言っても、鼓さんの方がしっかりしてるのは事実なんだし、部長が逆ギレするのはどう考えても変です」

「それは確かに俺も同意」

部長を撫でていたカオルの手が、ぺしっと頭を叩いた。
いてっ、と頭を押さえる部長を睨みつつ、ミナが腕を組んだ。

「仕方ないわね。こうなったら私が二人を」

「頼む。何かあったら仲裁してやってくれ」

「いや、まぁこの際だから二人を戦わせて、決着つければいいのよ。そしたらスッキリするでしょ」

「さっすがミナ先輩!冴えてますね」

「…………」

「…………」

もはや言葉も出なかった。
何をどうしたらそんな発想になるのか。

「決まりね。じゃ、鼓に伝えてくるから」

一方的に決めつけると、ミナはすたすたと部屋を出ていった。
冷静な振りをしているが、障子を閉める時にピシャリと高い音が響いた。
部長の全身から冷汗が吹き出す。

「あの、おいらたち、部活の合宿に来たんじゃなかったっけ……」

「気の毒だが自業自得だ、バカたぬき」

「ミナ先輩には逆らわないほうが良さそうですね♪」

「身に染みました……」

部長は激しい後悔に頭を抱えながら、ぐったりと畳に寝転がった。
鼓に対してのイライラよりも、ミナを怒らせてしまったことの方が遥かに問題だった。

→第三話「ヘタレわんこのディープハグ」

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