第6話『君のぬくもり』


「ん…」

リュウは窓から差し込む光を受け、まぶたを開けた。
今日は月曜日、時刻は午前6時を過ぎたところだ。
眠い目をこすりながら起き上がり、ふと横を見るとコウがすやすやと寝息を立てている。
その手には昨日までの特訓で使った芝居の台本が握られている。
どうやら特訓の最中に二人とも疲れ果てて眠ってしまったらしい。
リュウはしばらくの間、コウの寝顔を見つめていた。

「ほんと、よくやったよ…」

リュウは二日間の特訓を振り返ってみた。
正直なところ、リュウも役者としてはド素人。
誰かに演技を教えるのも初めてだったし、ちゃんと教えられたかどうかも自信がない。
でもできるかぎりのことはしたし、コウもそれに応えようと頑張ってくれた。
実際、コウの上達ぶりは目覚ましく、何か重いカラを脱ぎ捨てたようにも感じられた。
これならミナも文句は言えまい。

そんなコウの寝顔はとても安らかで、無理に起こすのもためらわれる。

リュウは寝返りをうつコウの背に、そっと毛布をかけた。


コウが目を覚ましたのは、それから数十分後のことだった。

「あれ…?」

コウはいつの間に寝てしまったんだろうと思いつつ、きょろきょろと辺りを見回した。

そういえばいつの間にか毛布がかけられている。リュウがかけてくれたんだ…

リュウのちょっとした気遣いがうれしく、つい笑みが漏れる。

「おっ、目ぇ覚めた?」

いきなり後ろから声をかけられ、少し驚いたように振り向くと、そこにはリュウが朝食を持って立っていた。

「あ、おはよ〜!ごめんね、昨日いつの間にか寝ちゃってたみたい…」

「いいよ、おれもそんな感じだったもん。それより朝ごはん作ってきたから、さっさと食べて学校行こう!」

リュウは散らかった机の上を大雑把に片付けると、ごはんと焼き魚、味噌汁を並べた。

コウが昨日と一昨日に用意された朝食はパンとサラダなどで、てっきりリュウの家は朝は洋食中心かと思っていたのだが、どうやら別にどちらでも構わないらしい。

コウは出された朝食を口にした後、一言だけ口を開いた。

「泊めてくれてありがとう…うれしかった!」

「あはは…お礼を言われるほどのことはしてないって…それより早くメシ食って着替えろよ。遅刻するぞ!」

コウのあまりにも素直な言葉が照れ臭く、リュウは頬を赤らめながら着替を始めた。
コウは時計を見て時間に余裕がないことに気付き、慌てて食事を済ませる。

「ごちそうさま!」

二人は急いで支度をし、駆け足で家を出た。


通学途中の人気のない歩道で、コウはふと気付いたことをリュウに訪ねてみた。

「ねぇ、リュウのお父さん、結局今日まで帰ってきてないよね?」

「ん?ああ…全国を渡り歩く仕事だからさ。一週間以上帰ってこないことも多いんだよ。」

「えっ…じゃあその間、リュウはずっと一人ぼっちなの?」

「うん。」

「…寂しく、ない?」

「あはっ…まぁ、慣れてるから。」

リュウはさりげなくそう言ったが、その視線がわずかに揺らいだのをコウは見逃さなかった。

「強がらなくてもいいんだよ?」

「べ、別に強がってなんか…!」

焦ったように早足になるリュウを見て、コウはその場で立ち止まった。

「リュウのきもち、ぼくだって少しはわかるよ…ぼくはリュウみたいに何でもできるわけじゃないけどさ、でもリュウのきもちを受け止めることぐらいはできるよ。」

「……」

無言で立ち止まったリュウの肩が震えている。

「もしかして泣いてる?」

「ば、バカ言うなよ。誰が…」

リュウが振り返ろうとしたその時、突然コウの腕が勢い良くリュウの体を包んだ。

「お、おい…!」

「えへへ…泣きたいなら泣けばいいじゃん。」

コウの暖かさが、優しさが染み込んでくる気がした。
これまで他人に見せることのできなかった…見せることをカッコ悪いと思っていた『弱さ』を、今なら打ち明けられるような気がする…

家に帰っても誰も迎えてくれる人がいないという孤独。
唯一『家族』と呼べる父親さえもいない夜。

おれの親父は忙しいんだから仕方ない。

そう思い込んで、無理に自分を納得させてきた。
顔を合わせる機会があまりにも少ない父親を恨んだことや、自分たちを捨てて出ていった母親のことを憎んだことがないと言えばウソになる。
自分を包んでくれる温もりが欲しかった。

学校にいる時はそんなことを忘れられるから、楽しかった。
でもだからこそ、リュウ周囲に自分の弱さを見せたくはなかった。
友達に気を遣われることが嫌で、無理に背伸びをしていたのかもしれない。
自分はもう大人だと信じていた。
けれど今こうして子供のように無邪気にじゃれついてくるコウの腕の温もりの中、リュウの瞳から一滴の涙がこぼれ落ちた。
リュウがこれまでずっとこらえてきた、涙だった。

「あ、やっぱり泣いてる。」

「…情けないなぁ…これじゃコウみたいじゃんか…」

「わ、その言い方ひどいなぁ。」

「…でも、ありがとう…なんかうまく言えないけど、嬉しい。」

リュウは母親のような優しさと、父親のような暖かさを、コウの腕から感じ取っていた。

おれなんかより、コウの方がよっぽどスゴいよ…

そう思った瞬間。

「ほぉぉ…最近の若い子は朝も早よから大胆じゃのぉ…」

「!!?」

二人が振り返ると、すぐ背後に近所に済んでる八木沼老人(ヤギ族:82歳)がひっそりと立っていた。

「わあっ、八木沼さん、いつから居たの!?」

コウは慌ててリュウから飛び退いた。
リュウは顔を真っ赤にしてうろたえまくっている。

「いや、あの、これはそんなんじゃなくって〜…えっと、そうだ。プロレスごっこ!プロレスごっこなんですよっ!」

「ほほぅ、朝からプロポーズごっこか。やはり大胆じゃのぉ。」

「そうそう、プロポー…って違ぁぁぁぁう!!(泣)」

「…冗談じゃ。」

「冗談かよっ!」

リュウと八木沼老人が下手なコントのようなものを披露している横で、コウが頭を押さえつつ腕時計に目をやった。

「あぁっ!ちょっとリュウ!遅刻しちゃうよっ!」

「え!?うわ、やべっ!そんじゃ八木沼さん、さよなら〜!」

二人は慌てて走り出した。
春の追い風が二人を急き立てるように感じた。

リュウの体には、まだコウの温もりが残っている。なんだか不思議な感じだ。

「コウ…?」

「うん?」

「泊まりに来てくれて、ありがとうな。」

「…えへへ。りゅ〜うっ♪」

にっこりと笑って、コウはまたリュウの背中に飛びついた。

「だから抱きつくなって〜!」

春風を受け、最後の桜の花びらが舞う朝だった。