第5話『男同士のウハウハ?』


演劇部が活動を始めてから数日経った金曜日。
部内では、コウをめぐってある問題が起きていた。

「た、たとえ亀がいなくても、あ、愛があればいいじゃないか。」

「カーーーット!!」

コウのぎこちなすぎるセリフ回しに、部長の激が飛ぶ。

「だから棒読みになっちゃダメなんだって!それにそのセリフは『亀がいなくても』じゃなくて『金がなくても』だっての…」

「はい、スミマセン〜!」

この二人、先ほどからずっとこんなことを繰り返している。
先日、コウとアキホに演劇部でやりたいことの希望を聞いたところ、コウは役者が、アキホは裏方がやってみたいとのことだった。
そこでコウには部長とリュウ、ミナの三人がかりで役者の基礎を叩き込むことになったのだが…
どうにもコウの演技はあまり進歩がなかった。
ミナは呆れた様子でコウと部長の様子を見守っていたのだが。

「ふぅ…コウくん、無理して役者やらなくてもいいのよ?キミがダメなら部長やカオル先輩がなんとかするし…」

「ムリムリ、おいらは脚本と演出で精一杯だし、カオルなんかはあんなキャラだから。」

「…こんなキャラで悪かったな…」

カオルが何やら音楽関係の雑誌のページをめくりながら部長を睨みつける。その視線も気にせず、部長がコウの背中を叩く。

「…でもホント、無理しなくていいんだぞ?たしかに役者の数は足りてないけどさ、それを気にして役者に志願してくれたんならありがたいけど、コウが裏方やりたいんなら…」

「違います!」

きっぱりと言いきったコウの目がうるんでいるのに気付き、部長は思わず手を離した。

「ボクは…役者がやりたいです…」

その言葉に、部長は困惑した様子で腕組みをした。

「そりゃあ、やる気があるのは嬉しいけど…」

「やる気があっても、本質的に向いてないってこともあるのよ?」

ミナが部長を遮って口を開いた。本人に悪気があったわけではないのだが、この一言は部内の空気を一気に曇らせた。

「ミナちゃん、何もそんな言い方しなくても…」

「でも部長、これじゃ練習がはかどらないのも事実だし、何よりコウくんのためにもならないんじゃないの?」

ミナの言葉に、コウは反論することができるはずもなかった。
たしかにやる気と実力が比例していない現状では、自分はただの足手まといに過ぎない…
部活のためを考えるなら、役者を降りた方がいい。
コウ自身そう思っていても、彼はそれを決して口に出そうとしなかった。
コウには『ある信念』があるのだった…
だがミナの言葉を頭の中で反芻すると、思わず涙がこぼれ落ちる。

「ちょっと、泣くことないでしょ!?」

ミナが焦って声をかけるが、コウの涙は止まらない。
その様子をしばらく黙って横から見ていたリュウが、不意にため息をついた。

「はぁ〜…何やってんだよおまえらは…ミナも口には気を付けろよ。新人くんがいきなり演技できるわきゃないんだからさ。さっきのは言いすぎ!」

リュウの呆れた口調にムッとしながらも、ミナは頭を下げた。

「…ゴメン。」

「でもコウも泣いてるだけじゃダメだろ?役者やりたいんなら泣かずに頑張る!だろ?」

「うん…」

コウは力なく頷いた。
リュウはそれを確認すると、部長にある提案を持ちかけた。

「部長、おれ、明日からの土日でコウを一人前の役者に鍛えてくるんでヨロシク!」

「へ!?」

これにはコウも含めた全員が驚いた。

「つまり、うちにコウを泊まり込ませてビシバシやるの。覚悟しとけよ、コウ?」

「え、あ、え!?」

うろたえまくるコウをよそに、ミナが冷静に口を開く。

「いい提案ね。じゃ、月曜日の部活で何かお芝居を披露してもらおうじゃない。
そこで上達してなかったら、問答無用でコウくんには役者を諦めてもらうわよ?」

「おうおう、望むところだ!」

リュウとミナが勝手に盛り上がる中、部長が恐る恐る口を挟む。

「あのさ、別になんでもいいんだけど、肝心のコウの意思確認しといた方がいいんでない?」

部長の言葉に、一同の視線がコウに集まる。

「さてコウ…リュウの提案による『コウの明日はどっちだ!?男同士のウハウハ♪ラブナイト〜地獄の特訓編〜』、やりますか?やりませんか?」

部長の問いに対するコウの答えは一つしかなかった。

「そのネーミングはどうかと思うけど、やります…!」


その日の帰り道。
リュウとコウはいつも通り肩を並べて歩いていた。
ふと、コウが口を開く。

「ねぇ、リュウ…」

「ん?」

「どうして僕のことかばってくれたの?ミナさんの言うことは正しいし、実際、僕の演技はダメダメだし…」

「おまえはミナにあんなこと言われて納得できるのか?」

「えっ…」

「おまえがそれだけ意地になって役者やりたいって言ってんのに、ただ向いてないってだけでやめさせられるのは、おれとしては納得いかないよ。向いてないなら頑張って向くようにすればいい。だろ?」

「リュウぅ〜…」

コウの大きな目に、またもや涙があふれる。
さすがにリュウも慣れたのか、仕方なさそうに微笑んでコウの背中を叩く。

「ほらほら、感激の涙はミナたちを見返す時までとっとけよ!それより今日と明日は覚悟しとけよ〜。しごきまくってやる!」

「…うん!よろしくお願いします〜!」

コウは涙を拭き、精一杯の笑顔でリュウに頭を下げた。

「へへっ…♪」

リュウが照れ臭そうに鼻をこする。

「じゃあ、帰ったらすぐ支度しておれんち来いよ!」

「うん!」

コウの金色のしっぽが、うれしそうに大きく揺れた。


…コウは自宅に帰るとすぐに、リュウに言われた通りに泊まる準備を始めた。
コウは楽しそうに鼻唄を歌いながら、バッグに着替え等を詰め込んでいく。
その様子を、コウの母が不思議そうに眺めていた。

「あらコウ、どこか行くの?」

「うん、お泊まりするんだよ〜♪」

「外泊!?まぁ、子供だとばっかり思ってたけど、あんたも大人になったのねぇ…相手は誰?かわいい娘?今度紹介しなさいよ?」

「そんなわけないでしょ!ほら、すぐ隣のリュウの家。そんなわけで土日の間留守にするけど…」

「なんだ、男の子なの…まぁいいわ。行ってらっしゃい。」

コウの母はややがっかりした口調でそう言った後、そそくさと部屋を出ていった。

コウはさっさと支度を済ませると、机の引き出しから一枚の古い写真を取り出した。
映っているのはゴールデンレトリバーの女性と赤ん坊、そしてライオンの男性。
和やかな家族写真といった感じだ。
コウはそれをどこか切なげな表情で見つめた後、ポケットにそっとしまい込んだ。
そしてバッグを背負い、自宅を出た。
リュウの家に泊まれることを喜んでばかりもいられない。
コウには、どうしても成し遂げたいことがあった…


コウは、リュウの家の玄関先のチャイムを鳴らした。
すぐにドアが開き、リュウが気さくな笑顔で出迎えた。

「おぅ、待ってたぞ〜!」

「どうも、お邪魔します〜」

コウは少し照れたように顔を赤らめ、リュウの家に上がった。

「今日はうちの親父、仕事で帰ってこないから、うちにいるのはおれだけ。だから気楽にしていいよ。」

自分の部屋にコウを案内しつつ、あっさりと話すリュウだったが、コウはふとした疑問を感じて首を傾げた。

「え、リュウだけって…リュウのお母さんは?」

「ああ、何年か前に離婚してさ。だから今は親父と二人暮らし。」

「そうなんだ…ごめん、悪いこと聞いちゃったね。」

「や、別に気にするほどのことじゃないって…」

リュウは笑ってそう言いながら、コウを自室の座布団に座るように促した。

「晩ごはん、まだだよな?」

「あ、うん。」

「じゃあ、適当に作ってくるから待ってて。」

「リュウ、料理できるの!?」

目を丸くするコウに、リュウは苦笑しつつ答えた。

「あ、やっぱ意外?おれ、一人でメシ食うことが多いから…ま、味には期待しないでくれよ〜。」

そう言って台所に向かうリュウの背中を、コウは感心したように見つめていた。
コウはリュウの部屋を見渡してみる。
良くも悪くも、普通の男子高校生の部屋だ。
それほど散らかっているわけではないが、机の上などにごく当たり前のようにエッチな雑誌が置いてあるのには驚いた。
だが、よく考えたら父子家庭なら特に隠す必要もないのかもしれない。
テレビの上には演劇部の記念写真が飾られている。去年の写真のため、卒業したOBらしき人も数名映っている。
部長の手には賞状とトロフィーが握られているので、どうやら大会で賞を取った時のものらしい。
コウは感慨深そうに目を細めた。

「こういうのって…どういう気持ちなんだろう…」

そう、ポツリと呟いた。


「おまたせ〜!」

やがてリュウが戻ってきた。その手には芳ばしい匂いの漂うオムライスが二つ。

「はいよ、親父直伝特製オムライス!」

コウは目の前に差し出されたそれの出来栄えに、素直に感動した。

「すっご〜い!これ、ホントにリュウが作ったの!?プロみたいだよー。」

「あはは…誉めるなら食べてみてからにしてくれよ…」

「そうだね、いただきまーす♪」

コウは短く手を合わせると、さっそくオムライスを口に運んだ。
そしてもぐもぐと味わい、飲み込む。
この料理に自信ありげなリュウに、コウは目を輝かせて言った。

「おいしい!本当にプロ顔負けかも!すごいよ〜♪」

「いやあ、おれの親父、仕事がトラックの運転手でさ。だから家にいないことが多くて、そんで料理とか自分で覚えたんだよ。」

コウはへえぇ、と大きく感心した。

「すごいなぁ、一人でなんでもできちゃうんだね!」

「いや、そんなことないって…」

照れ笑いを浮かべるリュウに、コウはぽつりと呟いた。

「…本当に、リュウは、すごい…」

「…コウ?」

コウの様子の変化に気付き、リュウはコウの顔を覗き込む。

「僕なんか、こんな性格だから一人じゃ何にもできないし…いつだって人に頼ってばかりだもん。情けないよね…」

自信なさげに肩を落とすコウに、リュウはそっと口を開いた。

「…あのさ、なんでも一人でできることがそんなに偉いと思う?」

「え…?」

「おれは逆だと思うよ。なんでも一人でできるんなら、友達なんて作る必要もないわけだし。一人じゃ何にもできないなんて、それが普通だって。今回もそう。
コウにできないことがあるならおれがカバーするし、その逆になることだってきっとあるよ。」

リュウの言葉を聞いたコウの眼がまたウルウルと揺らぎ始める。
だがコウは今度は涙をこらえ、ぎこちなく笑ってみせた。

「やっぱ、リュウはスゴいね!」

「あはっ…いいから早くメシ食えよ。冷めるぞ?」

リュウは顔を赤らめながら、コウの背中を軽く叩いた。

「メシ食ったら特訓だ。ミナを見返してやるためにな!」

「りょ〜かい!がんばりますよん♪」

コウはそう言ってオムライスを食べ始めた。
リュウも続いて食べ始める。
だがリュウには一つ、コウに聞いておきたいことがあった。
食べながら少し考えたあと、リュウはさりげなく口を開いた。

「あのさ、コウ?」

「なに?」

「なんで演劇部入って、しかも役者やりたいなんて思ったわけ?あそこまでこだわるんなら、まさか単におれの影響ってわけじゃないだろ?」

コウはオムライスを食べる手を止め、ポケットから例の写真を取り出してリュウに渡した。

「それ、僕が赤ちゃんの頃の写真なんだけど、写ってる男の人、知ってる?」

「男の人ってこのライオンの?えっと…どこかで見たような気がしないでもない…」

「えへへ…その人ねぇ、僕のお父さんで、俳優の獅堂アキラ。リュウは世代じゃないから知らないかな?」

「ふぅん、獅堂アキラかぁ……って、えぇっ!?」

獅堂アキラ。リュウはたしかにその名前に覚えがあった。
だがそれは20年ほど前に人気を博していた俳優で、リュウも何度かテレビの再放送や特番などでその姿を目にしていた。
リュウはコウの言葉を信じられず、何度も写真に写った人物に目を凝らすが、間違いない。
幼いコウを抱いて笑っているのは、確かに獅堂アキラだ。
だが…

「でもコウ、獅堂アキラって、たしか15年くらい前に…」

「うん。ぼくが一歳の頃に事故で死んじゃったよ。だからお父さんって言っても、実際には何も知らないんだよね…」

「……」

リュウはコウの口から次々に出てくる言葉に対し何を言っていいのかわからず、
ただ気の毒そうに表情を曇らせた。
コウが慌てたように屈託のない笑顔でリュウをなだめる。

「もう、そんな顔しないでよ!リュウだってお母さんいないんだから、似たようなもんじゃない!」

「でも…おれの母さんは離婚しただけだから。会おうと思えば会えないわけじゃないし…けどコウの親父さんはもう…」

「う〜ん…リュウってさ、自分より他人のことを気にして落ち込んじゃうタイプ?」

「茶化すなよ…」

いまだ表情の暗いリュウに対し、コウは少し視線を反らして言った。

「たしかにぼくはお父さんのことは何も知らないよ。でもね、だから知りたいんだ。お父さんがどんな人だったのか。お父さんは舞台俳優だったけど、それってどんな気持ちだったのかな。舞台に上がるって、どんな感覚なのかな。ぼくはそれを知りたいよ。」

「だから…役者やりたかったのか?」

コウは微笑んで頷いた。

「転校して初めて出会った友達に、演劇部に誘われた…これって運命かもって思ったんだよね…」

「んな、オーバーなもんじゃないと思うけど。」

「ぼく、見ての通り演技はダメダメだけど、でも諦めたくないよ。だからリュウが力を貸してくれるって聞いて、本当にうれしかった…だからリュウと二人で頑張りたいんだ。リュウがぼくのことで暗くなってどーすんのさ!」

リュウは心のなかで苦笑した。
さっきまで自分がコウを励ます立場だったのに、なぜか今はコウに励まされている。
コウを気遣ったための悩みなのに、コウの言葉がそれを打ち消していく。
コウは決して弱くない。きっと自分より何倍も強い心を持っているはずだ。
コウの過去を深くは知らない。けれど、きっと辛いこともあったに違いない。
顔も覚えていない父親が有名俳優だったというだけで、世間から好奇の目で見られることもあったのではないか。
コウはずっと一人で、自分について回る父の名前から逃げようとしていたのではないか。
そして今、自分と出会ったことで父の名前と真っ向から向き合おうとしているのなら、自分にできることは…

リュウは自分の頬を軽く叩いた。

「…よっしゃ!おれとおまえでミナに一泡吹かせるぞ!」

「うん!」

自信に満ちた笑顔でコウが答えた。

大丈夫、なんとかなるさ。

リュウはそう確信した。