第14話『ぼくらの町』


その日の放課後、とりあえずリュウは部活に顔を出していた。

コウはいないのかという声に、「具合が悪くなって早退した」とだけ伝えて。

「残念だなぁ、夏の大会の台本できたから、読み合わせしてもらいたかったんだけど〜…」

部長がバッグから、人数分の台本を取り出した。

「ほぉ、ついにできましたか」

アキホがさっそく一冊、手に取ってみた。

表紙には「この丘の上で」とタイトルが記されている。

「うん…みんな一冊ずつ持って帰って目を通しとくようにー」

部長に言われ、ミナとカオルが台本を手に取った。

「徹夜続きだったろ、大丈夫か?」

カオルが部長の肩をポンと叩いた。

「うぁ」

少し足元がおぼつかない様子だ。

「だから数日で一気に書き上げるんじゃなくて、前から少しずつ書いてたほうがいいって言ってるでしょ」

ミナが呆れた口調で嗜めた。

「それはおいらの性に合わん!」

「そですか…」

いったいこのタヌキに何のプライドがあるのかと、ミナは苦笑した。

「ん、リュウ?」

浮かない顔のまま席から動かないリュウに気付き、部長が近寄った。

「…あ、はい」

「どした?リュウ、日頃から影が薄めなのに、なんかいつにもまして薄くなってるから、存在に今気づいた…」

「サラッとひどいことを言うわね、ぶちょー」

ミナがちょっと引いた。

「部長が濃すぎるだけですよねぇ」

口を挟んできたアキホに対し、部長はむっとした表情を見せた。

「おいらが濃いなら、君は一番微妙でしょ…」

「ある意味主人公ですからね!」

「おいらが?」

「アタシが。」

「………」

「うふっ♪」

「と…と〜りあえずリュウさ、帰ったらコウに台本渡してほしいんだけどさっ」

「え…あ、うん…」

気の抜けた返事に、部長ががくっと肩を落とした。

「んー…じゃ、リュウ、もうおまえ帰れ」

「えっ…?」

「気の抜けた炭酸飲料みたいな役者はいりません!」

ボーッと眺めつつ

炭酸飲料みたいな、はいらんだろう。

とカオルは思った。

「んでもって、おいらも寝不足だから今日は帰る!」

「はいっ!?」

「んじゃリュウ、帰ろう。今すぐ帰ろう。みんなは適当に練習して適当に帰ってね」

「え、あ、ちょっと…ぶちょ…」

他の部員が茫然と見つめる中、部長はリュウの首をつかみ、荷物を抱えて部屋を出た。

「何…」
「あの…」

茫然とミナが口を開いた。

「部長って…」

「バカはバカなりに色々考えてるらしい」

カオルがのっそりと腰を上げた。

「まあ、単なる野次馬かもしれんが…」


コウは家に帰るでもなく、ただ行くあてもなく足を動かしていた。

何気なく携帯を開けると、いつの間にかダイゴからのメールが届いていた。

『おはよー。昨日は久々に電話できて良かったぞー!
元気そうで何よりだー。帰ってきたくなったらいつでも来いよー、待ってるぜー。とか言ってみたりするー』

ダイゴ…
帰りたいよ、帰りたいけど…

「だいごぉ…」

泣きそうな顔で携帯を閉じた。


「ん〜…さてと」

部長はリュウを人の少ない公園に連れてくると、ベンチに座らせた。
リュウの顔色を伺うと、一つ呼吸を置いて、話を切り出した。

「コウと、なんかあったろ?」

「えっ…いや別に…」

「別に、じゃないだろうよ〜。コウが早退、んで必要以上に凹んだ表情のおまえ。何があったのか心配なんだよ!」

「単に野次馬が好きなだけじゃ…」

「うげっ」

「はぁ…」

「…ごめ。おいら別にからかうつもりじゃないんだけどさ」

リュウがじっと見つめ返した。

「んー、その、ほら、おいら脚本書いてきたでしょ?」

「うん…」

「で、これから練習だって時にさ、仲間内で不穏な空気、っていうのはぶっちゃけ勘弁してほしいわけさ。だから、何があったのかだけでも把握しときたくて…」

リュウは少しばかり部長を見直した。
少なくとも「部長」なわけだ。
頭は良くないと思うけど、ちゃんと考えてる部分もある。ごく、たまにだけど。

でも。

「おれにも、よくわかんない…」

「ほむ?」

「何があったのか、教えてくれなくて…おれ…」

「そりゃ、水臭いよなぁ」

「ていうか、なんか悔しくて…」

「悔しい?」

「おれ、コウの力になりたくて…でもコウはおれを頼ってくれなくて…」

「んー…」

部長は腕を組んで何かを考え始めて…
二秒後に考えるのをやめた。

「ま、リュウに頼るも頼らないも、コウの勝手だよなぁ」

「…うん」

「でもさ」

リュウの肩をポンと叩く。

「おまえは、どうしたいん?」

「えっ…」

「コウがどうとかじゃなくて、リュウ的には、どうしたいんさ?」

「おれ…」

できることを、やりたい。

「コウの、力になりたい…」

部長が、満足そうにベンチからピョンと立った。

「なら簡単だぁ!」

リュウの手を引いて、立ち上がらせた。

「力になりたいなら、力になってくりゃいいさ!」

「でも」

「でもぢゃないっての。おまえがコウの力になりたいって言うなら、そりゃおまえの勝手。好きにすりゃいーんだって!」

無責任かつ、単純な発想だとリュウは呆れた。だが、少なくとも…

「こんなとこでいつまでもウジウジしてるよりマシだと思うよぉ、おいらは」

部長は一ヶ所にじっとしているのが苦手なタイプだと思った。
悩んだら、後先考えずに行動してしまう。
なので博打に近い。
いい方向に転ぶ場合もあるし、ますます悪い方向に転ぶ場合もある。
慎重さというものがないのだ。
だが、相手を傷つけないように常に慎重でいるだけでは、話が進まないのも事実だった。

「部長…」

「コウがどういう状況なのか知らないけどさ、側にいてやれるのはおまえしかいないんじゃないの?妙な理屈こねなくていいんだよ。変に気をつかうほどの仲でもあるまいし」

部長はポンと腹鼓を鳴らすと、しっぽの先でリュウを小突いた。

「なんだったら、おいらが行こうか?」

「おれが行く!」

思わず口を突いて言葉が出た。

「よっし♪」

部長はリュウの背中を強く叩いた。

「痛いって!」

「いってこい!」

リュウは頷くと、公園から駆け出した。

「あーリュウ、」

「?」

何かを思い出したように部長に呼ばれ、リュウは顔を向けた。

「明日から練習始めるから〜、コウにもよろしくっ!」

「ういさっ!」

リュウは親指を立ててみせると、まっすぐに走りだした。


「はぁ…」

どれぐらい歩いただろう。
コウは見知らぬ川の上の土手に腰を下ろしていた。

まだまだこの街には知らない場所が多い。
それと同じで、クラスのみんなのこともよく知らない。
でもどこかで壁を作っているのはきっと自分自身だ。

今回の一件も、ぼくがしっかりしなきゃ解決しない。

それはわかってるんだけど…

故郷にいた頃と今の現状を比べると、どうしても気持ちを切り替えることができなかった。

夕陽が沈みかけていた。そろそろ帰らないと真っ暗になってしまう。

コウが腰を上げたその時だった。

携帯から、リズミカルな着信音が流れた。

着信 ☆リュウ☆

「リュウ…」

携帯を開けてからしばらく、出るべきかどうか考えた。

今の自分は…リュウに見られたくない。
こんな自分に、リュウと話す資格なんて…

「ごめん…!」

コウは携帯を閉じた。
しばらく握り締めていた携帯から、再び着信音が鳴ることはなかった。

「……ごめん…」

携帯を腰のポケットに納めようとした。
しかし。

「あっ…!」

カツン、と固い音がして、携帯が土手を転がり落ちていった。

バカ!

自分の迂闊さに腹が立った。

慌てて拾いに降りようとしたが、転がる携帯は勢いを増していく。流れる川に向かって。

ダメだ。もう届かない…!

諦めてまぶたを閉じようとした、その時だった。
コウの横を、風が吹いた。

「たぁっ!」

俊足。
助走を付け、道路から下を流れる川に向かって飛んだ。

「…リュウ!」

リュウは勢い良く着地すると、今まさに川に飛び込もうとする携帯に向かって、頭から滑り込んだ。

ザザザッと渇いた音が響き、巻き込んだ砂利が煙を上げた。

リュウ…!

コウが慌てて土手を降りた。
眼下ではリュウがうつぶせに倒れている。

「リュウ!!」

「う〜…イテテ…」

辛そうな顔をしながらも、上体を上げてコウに笑ってみせた。

「ギリギリセーフってとこかな」

その右手にはコウの携帯が握られていた。

ストラップの先端部分が川の水に濡れていた。

「どうして!?」

「どうしてって…」

リュウが答えるのを待たず、コウはリュウの胸に飛び込んでいた。

「うわぅ」

起き上がろうとしていたところに飛び込まれ、リュウが態勢を崩した。

「おい、コウ…」

「うぅっ…」

「コウ…?」

「うわぁっ…わぁぁぁぁんっ!!」

張り詰めていた気持ちが緩んだのか、何を気にすることもなくコウは号泣した。
子供のように泣き叫ぶコウを、リュウはぎゅっと抱き締めた。


すっかり日は落ちてしまった。
落ち着きを取り戻し、泣き止んだコウだったが、涙でひどい顔になっていた。
そんなコウの肩を支えながら、リュウは帰路についていた。

「もう大丈夫か?」

「うん…」

「さっきの、コレ」

リュウは携帯を差し出した。転がった際に、あちこち傷が付いてしまった。

「…リュウ…」

「ごめんな、傷だらけになっちゃった…」

そう言うリュウの姿もひどかった。
服のあちこちが破れ、全身にかすり傷を負っている。

「傷だらけなのはリュウじゃん…なんで…」

「コウを探してたんだけどさ」

「うん…」

「家のほうにはいないみたいで、どこ行ったのか検討もつかなくって…当てずっぽうで走ってたワケでー…」

「ずっと!?」

頷いて、続けた。

「でもわかんなかったから、仕方ないから電話したんだけど、ちょうど目と鼻の先で着メロが聞こえてさ、もしかして、と思ったら、」

コウの頭を軽く叩いた。

「コウ、ドジやってんだもんなぁ…」

コウは目を反らし、また瞳を潤ませた。

「放っておけば良かったじゃない!携帯も、ぼくのことも…そんなボロボロになってまで…」

「うん、放っておいた方がいいのかな、とも思ったよ…」

「だったら、なんで…」

「そしたら部長に怒られた。力になりたかったら、力になってくればいいんだって。それはおれの自由だって。」

「……」

「それともやっぱり、おれが来てイヤだった?」

「そんなことないよ!…うれしかった…」

「良かったぁ…」

「心配かけてごめん…」

「ほんと。一人で凹んじゃわないでさ、頼ってほしいんだよなぁ。反省しなさい!」

わざといじめるような口調で言った。

「ぅ〜〜、ごめんなさい〜…」

「んじゃ罰として、夕食作るお手伝いすること!あとは帰ったら何があったか話してくれること」

「わかった。でも…」

「ん?」

「話すけど、ぼくの力で解決してみる」

「おいおい、何だよそりゃ…」

今度はガックリと肩を落とした。

「ちがうの!気付いたの!」

「お?」

「この街にはリュウがいて、部長がいて、みんながいるから、ぼくは大丈夫だなぁって」

「……そっか、じゃ、がんばれ!」

「うんっ!」

壁が消えた気がする。
コウは実感していた。
いや、そうじゃない。
越えられなかった壁を、リュウがひっぱり上げてくれたから越えられたんだ。
そのリュウも部長に背を押されたから来てくれて、だからみんな繋がってる。
だから、がんばれるんだ。

「あー、コウ!」

「うん?」

「部長からのプレゼント…夏の劇の台本!」

リュウはカバンから取り出した台本を、コウの手に握らせた。

「わぁっ、これが!?」

「んで…主役、おめでとー!」

主役?

「今、なんて…」

「主役おめでと!」

しゅやく。

「主役…」

「ん。」

「えーーーっ!!?」

…がんばれるかなぁ…
いきなり、不安でたまらなくなった。