第13話『ダイゴの声』


あれから一週間。
リュウは退院して、これまでどおりの生活に戻った。
だけど、これまでどおりじゃなくなったものもある。

ぼくは…

「りゅぅ〜…」

コウは机に伏せて、想いをめぐらせた。
自然としっぽが揺れる。

「幸太ぁ、電話よー」

居間から聞こえた母の声に、ハッと現実に戻された。

「は〜い!」

コウはぽてぽてと居間に足を運ぶと、コウの母がニコニコと笑いながら受話器を手渡した。

「はい、もしもし」

「あ、コウ!?久しぶりー!」

受話器から聞こえた明るい声に、コウは目を丸くした。

「だ…ダイゴ!?」

声の主はクマ族の少年・ダイゴだった。
コウとは中学の頃に知り合い、ずっと仲の良かった相手だ。

「おまえが転校してからメールも電話も全然してなかったからさ、なんか声が聞いてみたくなってなー!」

「ぼくもだよ〜!」

「どう?そっちじゃうまくいってるかー?いじめられたりとかしてないかー?」

語尾を伸ばすクセは相変わらずだと、コウは何か少し安心したように笑った。

「ううん、大丈夫。あのね、演劇部に入ったの」

「おまえがー!?えっ、えっ、それって夏にコンクールとかあったりするー?」

「あるある」

「おれ、見に行っていいかー?」

「え〜っ、恥ずかしいよ!」

「おまえの大根芝居、見たいんだよー」

「大根ってわかってて見にくるのね…」

「冗談冗談ー。でも見に行っちゃうから覚悟しとけー」

「はいはい」

仕方なさそうに頷いてみせた。ダイゴには見えないけど、ついついパタパタと身振りを加えて話してしまう。
久々の話に、ついつい時間が過ぎていく。
しばらく話した後、ふとダイゴが問い掛けた。

「コウ、彼女とかできたー?」

「えっ…!」

ドキッと身がすくんだ。急激に顔が赤くなる。
このタイミングでそれを聞くかこのクマは。

「どっ…どうだろうね…」

「…そかー。恋愛にゃ疎いと思ってたけどー、一人前になっちゃったかー」

「えぇっ!?」

「いないならいないって言うもんー、おまえー」

バカ正直な自分の頭をコツンと殴った。

「い、いないよ〜、彼女なんて…」

「今さら訂正しても無駄ー」

「ぅ〜…」

まあ、嘘はついていない。彼女なんていないのだから。

「ほんじゃ、今日はそろそろこの辺でー」

「あ、うん」

「また電話していいかー?」

「うんうん、いつでも!」

「んじゃ、またなー!」

「じゃあね!」

ダイゴが電話を切るのを確認し、コウも受話器を置いた。

「ふーっ…」

久々に聞いた友の声に、自然と笑みがこぼれた。

ふと自分の部屋に戻り、本棚から一冊のアルバムを取り出した。
中学時代のアルバムで、学校行事の写真からちよっとした日常のスナップ写真までが収められていた。
数ページほど開いたところで、一枚の写真を取り出した。
学校帰りによく立ち寄ったラーメン屋での一枚で、コウとダイゴがラーメンを必死の表情で食べている瞬間が収められている。
制限時間内にどれだけ食べられるか競った時の写真だ。
コウは4杯、ダイゴは6杯。
思わず笑みがこぼれた。ダイゴに大食いでいい勝負ができそうなのは部長ぐらいしか思いつかない。
カオルと同じクマ族とはいえ、ダイゴの場合はコウと大差ない背丈なのに。
転校する前、コウともっとも仲の良かった相手だ。

きゅ〜ん…

と、コウの鼻が鳴った。
少し寂しくなって、またアルバムを本棚にしまった。


翌日…

一時間目は英語の授業だった。
イヌ族の女性教師が入ってくると同時に席に着いたコウは、ざっと周囲を見渡した。
みんな憂欝そうな顔をしている。
それもそのはず。

「はい、今日はこの前のテスト返しまーす。覚悟はいーい?」

パンッ!と小気味良い音を立てて教師は答案用紙の束を叩きつけるように机の上に置いた。
けれどコウには自信があった。
今回のテストはリュウと二人で夜遅くまで勉強したのだ。がんばったのだ。

鼻歌でも歌いたい気分ではあったが、そうもいかないのでとりあえずしっぽをパタパタ振ってみた。

すでに何人かの生徒が名前を呼ばれ、答案用紙を受け取っていた。
思わしくない点数だったのか、一様にげんなりとした表情を浮かべている。
次はコウに答案が返ってくる番だ。
教師と目線が合った。

「みんなも見習いなさいよ〜。今回一番点数良かったのは金森くんよー」

その言葉に、一斉にコウに注目が集まる。

「ふぇ…」

恐る恐る教壇に足を運んだ。
微笑まれ、答案を受け取った。
赤文字で大きく、94と書かれていた。
コウ自身にも意外なほどの点数だった。
けれど大勢の注目の的になるというのは慣れていない。
気恥ずかしさから、サッと答案を折り曲げ、点数を隠すように席に戻ろうとした
のだが…

「94点だって」

隠しきれなかったのか、誰かが小さく呟いた。

「お〜…!」「さすが〜」

次々に視線が集まる。

「あぅ…」

うつむき加減で席に戻ろうとしたコウの足に、不意に何かが引っ掛かった。

「うぁっ!?」

ドスンと重い音が教室に響き渡った。

「いてて…」

「大丈夫?」

横の席の女の子に手を引かれて立ち上がると、コウはオドオドと席についた。

「ボーッとしてたら、危ないよ」

コウに手を差し伸べた女の子に言われ、顔が真っ赤になった。

「うん…」

いい点数を取れて気分がいいはずなのに、どうにも周囲の視線が気になってしまう。
部長がいれば「そんなことで舞台に立てるか!」と一喝されそうだ。父さんにも同じこと言われそうだけど。

このクラスに転校して数か月。そういえば本当に親しい友人はできていなかった。
リュウやミナは別のクラスだし、それなりに愛想良く振る舞っていても、結局どこかで壁を感じていた。

「はあ…」

昨日のダイゴとの電話の反動もあってか、この教室にいたくない。
コウは少しそんなことを考えていた。

その授業が終わった後だった。
コウの後ろの席のイヌ族の少年が、トントンとコウの肩を叩いた。

「ん?」

コウが耳を貸すと、少年はコウの垂れ耳を持ち上げ、小さな声で呟き始めた。

「あのな、言わないほうがいいかと思って黙ってようかと思ったんだけど…アイツ…」

そう言って、コウの横の席の女子を睨んだ。さっきコウに手を貸してくれた女の子だ。
背後からの視線に気付く様子はない。

「うん、どうかしたの?」

「おれ、後ろからだから見えたんだけど…さっきおまえに足引っ掛けて転ばせたの、アイツだぜ…」

「えっ…」

信じられなかった。
だってあの子は手を引いてくれたじゃないか。

「アイツ、一年の夏からの転校生でさ。気を付けたほうがいいと思う。たぶん、おまえだけちやほやされてるのが気に食わないんだろう」

「そんな…」

別に目立ちたくて目立っているわけでもないのに。
チラリと彼女の様子を伺うと、一瞬だけ目が合って、すぐに反らしてしまった。

「ぼく、どうすればいいのかな…」

「んー…あんまりひどいようならおれが一言言ってやろうか?」

コウは首を横に振った。理不尽な理由とはいえ、原因が自分にあるなら他人の力は借りたくない。

「そっか。また何か困ったことあれば言えよ」

「ん。ありがとう」

コウはそれだけ言って教室を出た。
ちょうど、リュウが隣の教室から出てきたところだった。

「あ…」

「あ、コウ。英語のテストどうだった?」

「…りゅう〜…」

リュウの顔を見た途端、じわっと涙が溢れだした。

「うわっ!どーした!泣くほど悪かったのか!?」

と言ってみたところで、コウの肩が小さく震えているのに気がついた。

「何かあったんだな…?」

リュウの問い掛けに、頷いてみせた。

「ここじゃ人目につくから、部室行こうか…ちょっとだけ泣くのガマンできる?」

「うん…」

廊下を歩く時、周囲の視線がなんだか恐かった。
この現実から、目を背けたかった。

「ダイゴぉ…」

「え?誰?」

ついその名前が口に出てしまったことに気が付いた。
目の前にいるのはダイゴじゃない。リュウなのに。

「…ごめん…ぼく、今日は帰りたい…」

「……どうしたのさ」

「……」

「無理すんなよ…」

「早退届け、出してくるね…」

背を向けたコウに、リュウはかける言葉が見つからず困惑した。
今のコウはリュウを見ていなかった。

「コウ…!」

名前を呼ばれ、振り向いたコウに、リュウは精一杯の笑顔で言った。

「今夜、おまえの好きなメシ作るからさ、遊びにこいよ!」

「…うん!」

できる限りの笑顔で応えた。
ちゃんと、笑顔に見えてればいいけど。

でも…

ダイゴぉ…
ぼく、帰りたくなっちゃったかも…