第10話『たぬきの願い星』
『リュウ先輩にふられたぁ!?』
「うん…」
ベッドの上に腰かけたミナは携帯電話越しのアキホに、小さく呟いた。
「はっきり、伝えたつもりなんだけどね」
そう言って、足元のイヌのヌイグルミをポンと蹴っ飛ばす。
『う〜ん…』
アキホはそう言ったきり、黙り込んでしまった。
「…はっきり、伝えすぎたかも」
『何したんです?』
「…ス」
『え?』
「……キス…」
自分の耳に入った言葉が信じられなかったアキホは、ゆっくりと頭の中でその言葉を反芻した後、思わず頭を抱え込んでしまった。
『……えぇっと、ミナ先輩…物事には、順序というものがあって…』
「やっぱり、そっか…」
『い、意外と、こういうことに不器用なんですね…』
「でもね。」
『?』
「気が…済んだかも」
『え?』
「じゃ、またね!」
『ちょ、それってどういう…』
ミナは満足そうに言って、アキホの言葉も聞き流して電話を切った。
蹴っ飛ばしたイヌのヌイグルミを拾い上げ、そっと抱き抱える。
そして満足そうに、しかし寂しげな口調で、囁きかけた。
「これで、いいんだよね?」
リュウが好きなのは、私じゃない。たぶん、リュウ自身も気付いてなくて…だか
ら。
窓を開けると、蒸し暑い夜に、爽やかな風が吹くのが感じられた。
明日は休日。買い物にでも行こう。
そして翌日。休日ということもあり、商店街はよく賑わっていた。
通りの一角にある若者向けのアクセサリーショップに、茶色いしっぽが二本並んでいた。
「カオルぅ、どれがいいと思う?」
並べられたシルバーのリングやペンダントを見ながら、部長が訪ねた。
「ミナに渡す誕生日プレゼントだろ、俺に聞くな…」
「むぅ〜…」
カオルの素っ気ない反応に、不満そうに鼻を鳴らしてみせた。
そう、あと一週間でミナの誕生日。このために部長は休日にバイトをしたりして、せっせとお金を貯め込んでいたのだ。
一時は無駄な努力になったかと思ったが、無駄かどうかはとりあえずやってみなくちゃわからない。
20分ほど悩んだところで、ようやく部長は一つのネックレスに指差した。星の形のペンダントが美しく、なんとなくミナに似合いそうな気がしたのだ。
「これ、くださ…」
「あれ、何やってんの二人とも、こんなとこで」
「ふぁっ!?」
その声にビクリと振り返ると、ミナが澄ました顔で立っていた。
「あぁっ、いや、え〜と!」
慌てふためく部長を制してカオルが口を開いた。
「や、部長の姉さんが明日誕生日なんだって。で、プレゼントを選びに」
部長はただ激しく首を上下させている。
「へぇ、いいトコあるんだ」
部長の顔が真っ赤になる。しかし、部長が指差していたネックレスを見てミナが一言。
「んー、これはやめておいた方がいいよ。ちょっとこの星のペンダントがカッコ悪いような気が…私だったら付けないかな…」
買わなくて良かったーっ!!
真っ赤になった顔が途端に青ざめた。
「選ぶの手伝ってあげようか?」
「いいい、いや!いいです!じぶんで選ぶから!」
頭が痛くなるほど激しく首を振る。
「そ、そう。じゃ、私は本屋に用事があるから、行くね。」
困ったように笑いながらも、ミナはスタスタとその場を離れていった。
「……はぁ…死ぬかと思った」
「おつかれさん」
息を切らす部長の背を、カオルがポンと叩いた。
「う〜…どうしよ、プレゼント…」
「別になんでもいいんじゃない?」
「そういうわけには…」
「まったく。んじゃ俺、楽器店見てくるから」
悩み始めたら最低一時間は悩む部長である。
うんざりしたカオルもまた、人混みの中に消えていった。
本屋での買い物を終えたミナは、先ほどのアクセサリーショップの前を通りかかった。
いまだに首を傾げている部長の後ろ姿が見える。
まだ迷ってるんだ。
ミナは再び部長に近寄ろうとした。
だが…
「あー、ちょっとキミ、いいかな?」
「えっ?」
ミナと部長の間に、若い男が急に割り込んできた。
サングラスとスーツがいかにも胡散臭いヒョウ族の男。
「俺、芸能プロダクションのスカウトしてんだけどね。君、そういうの興味ない?」
男は強引にミナに名刺を手渡す。
大手プロダクションの名前ではあるが、ともかく怪しすぎる。
「いえ、あの、私…」
名刺を突き返して拒否しようとするが、男の勢いは止まらない。
「最初はちょっとしたビデオ出演からなんだけどォ、キミならすぐにスターも夢じゃないっちゅーかぁ…」
やはり、単なるAV女優のスカウトか…
「いや、だから結構ですってば…」
「わかった。じゃあ、とりあえずそこのカフェで詳細を話そうか」
わかってないじゃない。『じゃあ』って何よ、『じゃあ』って!
男は強引に、いやがるミナの手をつかむ。
「ちょっ…やめてよ変態!いや!」
「ほらほら、おごるからさ!時間は取らせないから…」
男が無理矢理ミナの手を引こうとした時だった。
「部長キィーーック!!!」
「!!?」
男の背中に衝撃が走り、そのまま地面に激しく顔面をぶつけた。
背中には、足跡がくっきり。
飛び蹴りから着地した部長は、ふふんと鼻を鳴らした。
「オッサン、うちの看板女優に気安く触らないでほしいな!」
「部長…」
「…こんの、ガキぃ!」
鼻血を流しながら男が憎々しげに部長を睨みつけた。
サングラスを割られ、スーツも汚され、おまけにこの人だかりの中で鼻血。男のプライドは激しく傷付いていた。
「うぁっ…怒らせちゃった?」
「当たり前でしょ…」
「ぶっ殺す!!」
「と…とにかく逃げーっ!!」
部長は大慌てでミナの手を引いて走り出した。
「ん〜…?」
楽器店でハーモニカを選びながら、カオルの耳がピクンと動いた。
「なーんか今、バカたぬきの声が聞こえたよ〜な〜…」
ちらりと外を見る。
『ひーーーっ!!』
『部長、遅いー!!』
『待てコラーっ!!』
「………ん〜と。」
ミナが部長の手を引いて走ってて、怪しい鼻血男がそれを追いかけて…
「……わわっ!?」
なんとなく状況をつかんだカオルが、店を飛び出…そうとして、
「ちょっとお客さん!お金!」
「…あ」
ふと、手に持ったハーモニカに気付く。
「こりゃすみません。おいくらですか〜」
のっそりとレジに向き直った。
「…だっ!!」
部長の頬に、男の拳が打ち込まれた。
人気のない路地裏に追い込まれた二人。
だか男はミナではなく、部長に狙いを定めていた。
気位が高く、狙った獲物は逃さないというヒョウ族の習性によるものだろうか。
男の目は狂暴性を剥き出しにして、ギラギラと輝いていた。
「ミナちゃん、逃げて…」
「なに言ってんの!?」
「へへ、こんなヤツに負けるおいらじゃ…」
よろけながらも短い足で踏ん張ろうとする部長の腹に、男の重い蹴りが食い込む。
「…っ!!」
一瞬呼吸が止まり、地面に転がった部長は大きくむせかえった。
「カッコつけんな、小僧。」
男は部長の小さな身体を何度も足で蹴りつける。
「うぅっ…!」
「やめて!!自分より小さい相手に、卑怯だと思わないの!?」
「うっせぇ!!」
ミナの制止にもまったく耳を傾けず、男はうつ伏せになった部長の背中を片足で押さえ付ける。
「よぅ小僧。俺のこの服とグラサン、よくも台無しにしてくれたな?高かったんだぜ…」
耳元に顔を近付け、囁くように言う。
「礼をさせてもらわなくっちゃな…」
男は部長の右肩をしっかりと押さえつけ、腕をつかみ上げた。
「腕の一本ぐらいは、折らせてもらってもいいよなァ…?」
男が残忍な笑みを浮かべる。
「やめてぇぇぇっ!!」
男が部長の腕をひねり折ろうと力を込めた……瞬間、不意に襲ってきた背後からの衝撃に、男の体は宙を舞った。
ドガッ…!
鈍い音を立てて、男は壁に激しく叩き付けられた。
「なっ…!?」
何が起こったのか理解できず、男は脇腹を押さえながらゆっくりと視線をめぐらせた。
さっきまで痛めつけていたたぬきの子供をかばうように立つ、巨大な影…
その姿に、男はパニックになりかけていた。
巨大な影…カオルの形相は、それほどまでに恐ろしいものだった。
「…うちの部長に、何すんねん…!」
息を飲んだのは男だけではない。部長も、ミナも。
カオルの口調から、いつもののほほんとした雰囲気が消えている。
カオルのこんな鬼のような姿を、ミナは見たことがなかった。
だがぼんやりとした意識の中、部長はこんなことを考えていた。
前にも、こんなことがあったっけな…
小学校の頃だ。部長は何かと理不尽な因縁を付けられては、同級生からいじめを受けていた。
クラスメイトは見て見ぬふり。それどころか、いじめの様子を見て冷ややかに笑っていた。
部長が何か悪さをしたわけではないのに。
教師からも相手にされなかった。
だが、幼馴染みの…カオルだけは違った。
部長が石をぶつけられるたびに盾になり、靴を手の届かない木の枝の上にひっかけられた時は踏み台になってくれた。
自分に自信が持てなくなったとき、決まってこう言ってくれた。
『おまえは俺なんかよりずっと強いよ。何があっても、大丈夫だから。』
「カオルぅ…」
涙が溢れてくる。
カオルはまた一歩、男に近寄る。
「ひっ…!」
カオルの拳が飛ぶ。
男の鼻から再び、鮮血が吹き出した。
カオルの目は完全に理性をなくしている。
…歯止めが効かなくなってる…
キレたカオルは簡単には手がつけられない。
このままでは…
カオルがふたたび拳をあげる。
だが、その拳が振り下ろされることはなかった。
「…いいよ。もう、いいからさ…」
カオルの足に、部長がしがみついている。
「………!」
ようやく瞳に冷静さが戻る。
目の前の男はただ、ガタガタと震えている。
カオルは拳を下ろして冷静に、だが強い口調で言い放つ。
「…行け…!」
「ひっ…ひぁぁっ…!」
男は文字通りしっぽを巻いて、一目散に走り去って行った。
自分よりでかい相手だと、何もできないらしい。
その点、このバカたぬきは…
穏やかな視線で、足元でへばっている部長を見つめる。
…やっぱり、俺なんかより強いな、こいつは…
「カオル、ひどいな…」
「?」
「もうちょっとでミナちゃんに、いいトコ見せられたのに。」
「そんなカラダで今さら強がるな。それに、ほら…」
カオルが視線を反らす。
「バカ…」
涙をにじませながら、ミナが歩み寄ってくる。
懐からハンカチを取り出すと、部長の傷の手当てを始めた。
「うわっ、み、ミナちゃん!!?」
「本当に、バカ。」
「…へへ♪」
頭をかく部長のポケットから、小さな袋がこぼれ落ちた。
「ん、何か落ちたよ?」
「んぁわっ!」
ミナが拾いあげたそれは、先ほどのアクセサリーショップのものだった。
「ああ、お姉さんにあげるプレゼントだっけ…」
カオルがゴホンと一つ、咳払いをする。
「あっ、いや、本当は…」
ミナの手からそれを受取り、もう一度ミナに差し出す。
「本当はミナちゃんに、受け取ってほしいな、なんて…」
心臓がドキドキと早鐘を打っている。
この間が数分にも、数時間にも感じられた。
目を閉じた部長には、ミナがどんな表情をしているのかもわからない。
だが、やがてその小さな紙袋は、部長の手を離れた。
「……ありがとう!」
紙袋の中には、カッコ悪い星の形のペンダントが収められていた。
ミナの胸元に、ダサくてカッコ悪い星が一つ、輝いた。