第1話
「あろーん・ばーすでー・わおーん」
「う〜ん……」
ショッピングモールの一角にある小さなアクセサリー・ショップ。
そのショーケースを前に、小田貫鼓は大きな瞳をくりくりと動かした。
彼の身を包む柔らかい茶色の毛皮。大きく、太い尻尾。目の周りの黒い隈取り。
そして、まさに太鼓のごとく丸々としたお腹。
タヌキ族特有のそれらの特徴に加え、彼のトレードマークである額の赤いバンダナと両腕のリストバンド。
まだ幼さの残る温厚な顔つきと、のほほんとした雰囲気はまるでぬいぐるみのようですらある。
若いシカ族の女性店員は、何やら一生懸命な顔つきで商品を選ぶ彼の姿を見守っていた。
中学生ぐらいに見える彼が、4ヶ月前に高校を卒業した社会人であろうとは予想もしていなかったのだが。
「すいませ〜んっ」
鼓は店員に声をかけた。
「これ、くださいっす〜」
鼓はショーケースに並ぶシルバーのブレスレットを短い指で差し示した。
一見するとシンプルなデザインだが、よく見ると細かいラインが流れるように彫刻されており、見る角度で光り方が変わる。
「はーい。包装はどうする?」
店員はブレスレットを取り出し、気さくな声で訪ねた。
「あ、プレゼント用にお願いできるっすか?」
嬉しそうにお願いしてくる彼の姿に、店員はニヤニヤと笑いながら訪ねた。
「さては彼女にあげるんだ〜?」
「えへへ。そんなとこっすかね♪」
「あ、いいなぁ。そりゃあ彼女も幸せ者だわ」
店員は笑いながらもブレスレットを手早く包装し、リボンを飾った。
想い人に頬を赤らめてプレゼントを手渡す少年の姿を想像すると微笑ましい。
(かわいい彼女がいるんだろうなぁ……)
買った商品を受け取り、礼儀正しくお辞儀をして帰っていく少年を、店員は小さく手を振って見送った。
「……ぶえっくしょぃっ!!」
「うわ汚なっ!風邪?」
パンダ族の半田巧は、突然隣のデスクで大きなくしゃみをした同僚に対して大袈裟にのけ反ってみせた。
「いんや、なんか急に鼻がムズムズして」
巧から渡されたポケットティッシュで鼻を噛みながら、乾健介が答えた。
世界の人口比率の3割を占めるイヌ族の青年ではあるが、健介の場合はオオカミ族の血も多少は流れている。
精悍な顔つきはきちんとしていればそれなりにハンサムに見える。
しかしながら、鼻をこすり、普段はピンと立った耳も折れてしまっている現在の彼の姿はとても情けなかった。
温泉宿・楽運荘に勤務する彼は現在、事務所のデスクで売り上げに関するデータのファイリングを行っていた。
一方の巧はパンダ族ならではのどっしりとした体格で、パソコンに向かってイベントのチラシ作りに励んでいる。
そうかと思いきや、別ウインドウで開いたアダルトサイトに映る美女たちに鼻を伸ばしたりしている、そんなパンダだ。
歳が近く、それなりに仲の良い二人は他愛もない雑談をしながら、それぞれの作業に取り組んでいた。
「てか、おまえなぁ。仕事中にそんなもんばっかり見てるからいつまで経っても彼女できないんだぞ」
半田の眺めているサイトに気づき、健介が彼の肩を小突いた。
「うるせっ。おまえはどーなんだよ、おまえはー」
「俺?俺は、ほら……」
思わず鼓のことを考え、頬を赤らめた。
半田はその様子ににんまりと笑いながら、太い両腕を頭の後ろに回した。
「そういえば今日、鼓のやつ見てないなー?」
「今日はあいつ休み。街に買い物に行くってさ」
「ふうん、そっかー」
健介と鼓は、従業員寮の同じ部屋で暮らしている。
仕事でもコンビを組むことが多く、更に、あまり大っぴらには言えないような関係でもある。
「なぁ健介ぇ、今晩ヒマー?」
何気なく、巧が訪ねた。
「何だよ?」
「飲み屋行かない?」
「お、いいねぇ!」
日頃鼓と行動している健介は、なかなか同僚と飲みに出かける機会がなかった。
鼓はまだ18歳で、酒を勧めていい年齢ではないからだ。
寮で缶ビールを飲もうとしても、鼓が興味津々な様子で「一口だけ」と欲しがるので、どうにも飲みにくい。
だからたまにはこういう機会もいいだろうと、健介は巧との約束を二つ返事で取り付けた。
『from:健兄ぃ
件名:今夜の夕飯
本文:今日は仕事終わったらちょっと半田と出かけてくるんで、夕食はそのまま外で済ませてくるよ。
鼓はどうする?』
精肉店で頼んだ肉を裁いてもらうのを待っていた鼓は落胆した様子で、携帯に届いたそのメールに目を通した。
「……素で忘れてるんすかねぇ……」
呆れたように呟き、肉屋の主人に声をかける。
「ごめんなさいっす。ステーキ用のお肉、やっぱりキャンセルで」
肩を落として肉屋を後にした鼓の手には、大きなケーキの箱が握られていた。
今日は8月12日。
乾健介の、22歳の誕生日だった。
『from:鼓
件名:健兄ぃのバカ〜!
本文:おいらは一人寂しくカップラーメンでも食べとくっすよ(つωT)
半田さんとごゆっくりどーぞ!(`ω´♯)
あ、でも、なるべく早く帰ってきてほしいっす〜……
今日は何の日か覚えてないんすか?』
「うっ……!」
楽運荘から歩いて20分。
居酒屋「きゃさりん」ののれんの前で、健介は鼓からのメールの文面に思わず足を止めた。
「どした〜?」
店に入りかけた巧が首をかしげた。
「あ、いや。別に……」
健介は慌てて携帯をポケットに納めた。
自分の誕生日を今の今まで忘れていたなんて、愚かにも程がある。
それに鼓が買い物に行った目的はもしかして、いや、間違いなく……
健介の青ざめた顔にも気付かず、巧は居酒屋に入っていく。
「巧には悪いけど、適当に切り上げて帰ろう……」
しかしそんな健介の考えはやはり愚かだった。
この時点で巧に事情を話し、帰るべきだったのだ。
というのも。
「……だからねぇ、ボクも一生懸命やってんらよ〜!それをあの早苗のあねごったら、まったくもー……
あ、おねえさん、この『まんごーしーくわさー』を追加で〜」
ものの数分で、巧はすっかりできあがってしまっていた。
居酒屋の隅の席で、巧の怒声が高らかに響き渡る。
(こいつ、酒乱だったのか……)
健介は激しく後悔しながら、ちびちびと枝豆をつまんでいた。
「だいたい言ってることが無茶苦茶なんらよあのひと!『白か黒かハッキリしろ』だぁ!?
ヒック。んなもん、ボクを何らと思ってんらよ!ボクはねー、ボクはねー!!」
「うん。よくわかった。おまえは熊でも白熊でもない。ちゃんとした立派なパンダだよ」
適当に答え、巧の肩をさすってやった。
それがいけなかった。
「けんすけぇ……そういう風に言ってくれんのはおまえだけだよ〜!」
「そうかいそうかい……」
「けんすけぇ〜っ!」
巧は急に甘えた声になったかと思うと、いきなり健介に抱きついた。
「どわっ、ちょっ、バカ!おまえっ!」
「にゃ〜♪」
「にゃーじゃないっ!重いっ!苦しい!死ぬ!!」
体重110キロの大熊猫族の巧にのしかかられ、健介の座る椅子がぐらりと傾き……
どがっ!!
「げふぉっ……!」
健介は思いっきり後頭部を床に強打し、それっきりピクリとも動かなくなった。
楽運荘の従業員寮。
近くに家がない従業員のために用意されたその建物は、女将が知人から譲り受けた小さなアパートを改修して使用されていた。
三階立てで、部屋の数は六つ。その三階に鼓と健介の部屋はある。
買い物から帰った鼓は部屋に戻るなり、不機嫌そうにソファーに寝転んだ。
「バカ……」
鼓は手に持っていたプレゼントの箱を、軽くテーブルの上に放り投げた。
テーブルの上には駅前のケーキ屋さんで買ったケーキの箱。
今日は帰ったら兄貴分の誕生日を祝うべく、ささやかな二人だけのパーティーを開くつもりだった。
腕に自信があるわけではないが、健介を驚かせるぐらいの料理を振る舞うつもりでいた。
それなのに健介ときたら。
壁に掛かった丸い時計が示している時刻は夜7時半。
今ごろは半田と食事をしているはずだ。
「うぅ〜……」
考えれば考えるほど、涙が溢れてくる。
鼓はおもむろに起き上がると、握り拳で涙を拭い、テレビとPS2の電源を入れた。
始まるのは無数の敵を次々になぎ倒すアクションゲーム。考えるのを止めるにはおあつらえ向きだ。
そのうちに健介が帰ってきたら、何事もなかったようにプレゼントを渡せば良い。そう思っていた。
だが、それから三時間経っても健介が帰ってくることはなかった。
「う、う〜ん……」
健介が目を開けると、どうやら自分は畳の上に寝かされているらしいということに気が付いた。
「あれ?俺、どうしたんだっけ……」
考えたところで、後頭部がズキンと痛んだ。
そうだ。
確か自分は巧と飲みに来て、いきなり押し倒されて……
それからの記憶がない。
どうやら頭を打って完全に気を失ってしまっていたらしい。
「ぐおぉ〜っ……」
節操のない大きなイビキに横を見ると、巧が畳の上でだらしなく転がっていた。
時おり、「あねご〜〜♪」などと甘えた声で寝言をを言っている。
トラ族の従業員チーフ、大河早苗のことだが、愚痴る割には嫌いな相手ではないらしい。
「こいつ……」
思わずぶん殴ってやりたい衝動に駆られたが、『悪気はなかったはずだ』と、無理矢理に腹の中に抑え込んだ。
ふと見渡すと、どうやら自分たちは居酒屋・きゃさりんの宴会場に運ばれたようだった。
部屋の向こうから客の笑い声などが聞こえてくる。
「あ、気が付きましたか?」
その声に振り向くと、若いネコ族の従業員が様子を見に覗きにきたところだった。
「あー、ごめんなさい。えらい迷惑かけちゃって」
「いえ。救急車を呼ぼうかと思ったんですが、店長がそれほどでもないってんでここに運んだんですが……大丈夫ですか?」
つまり、店としては救急車を呼ぶほどの騒ぎになられては困るのだろう。
「ああ、平気です。これぐらい」
健介は苦笑しながら答えた。
まったく、最悪の誕生日にも程がある。
誕生日……?
そう考えたところで、霧が晴れるように鼓のメールの文面を思い出した。
『なるべく早く帰ってきてほしいっす〜……』
「あ、あの、今何時ぐらいです?」
「えっ?11時ちょっと前ってとこですかねぇ」
灰色のネコがのんびりと告げた一言に、健介の額に大粒の汗が滲んだ。
まさか三時間以上も寝ていたなんて。
健介は慌てて携帯を手に取った。
とにかく鼓に謝らないといけない。
そう思って携帯を開くと、『不在着信:3件』の文字が。
確認するとやはり全て鼓の番号で、だいたい一時間置きにかかってきていたようだ。
健介は咄嗟に鼓に電話をかけた。
呼び出し音が鳴る数秒間が、やたらと長く感じられた。
ドクドクと心臓の鼓動が早まる。
……鼓が、電話に出た。
「鼓?俺だけど……」
「あ、その、まだ居酒屋なんだけど……ああ。半田も一緒……」
「……悪かった」
「……あの、うん。その辺は帰ってからちゃんと……いやマジでごめん……」
「……いや、まだもう少しかかりそうだ。半田のやつ泥酔しちゃってるから、送っていかないと」
「……ちがうって!そんなんじゃなっ……」
「……あ……」
「…………」
健介は沈痛な面持ちで電話を切った。
「あ……あの……」
ネコ族の店員が、狼狽した様子で健介の表情を伺った。
「……本当にご迷惑かけました。もう帰ります、俺たち」
「は、はあ」
若い店員にはかけるべき言葉が見当たらないほど、健介の顔は死人のように青ざめていた。
店の外までは、巧の巨体はネコ族の店員が一緒に担いでくれた。
「お気をつけて」と見送られ、健介は巧を引きずるように歩き出す。
巧は寮には住んでおらず、大学に通っていた頃に住んでいたアパートに引き続き住んでいた。
ここからアパートまでは通常なら20分ほど。もっとも彼を抱えた状態ならどれほどかかるかわからないが。
だが基本的にタクシーが少ないこの小さな町では、それを待つ時間も辛かった。
「ちくしょー……」
なんでこんなことに。
健介が悔しさに歯を食い縛った、その時だった。
「う……う〜ん……」
巧が、重そうな目蓋を開けた。
「……やっとお目覚めかい」
「あったま痛ぇ……ボク、なんで……」
どうやら酔っていた時の記憶はないようで、ますます健介の苛立ちは募るばかりだった。
「いいから。黙ってろ」
「う……」
意識が朦朧としている巧にも、健介のただ事ではない表情は読み取れた。
酒を口にしてからの記憶がなく、その間に何かが起こって、健介は怒っている。
覚えていなくても、自分が何かまずいことをしたのは間違いない。
「あの……健介、ごめ……」
「おまえのせいじゃない。俺が馬鹿すぎたんだ」
「……一人で帰れるから。大丈夫」
「フラフラの酔っ払いがよく言うよ……」
「…………」
巧は、それ以上何も言えなかった。
よく覚えていないことをいくら謝っても、健介は許してくれないだろう。
重い荷物を抱えて歩くこと40分、ようやく巧の家にたどり着いた。
別れ際に、
「今日は誘ってくれてありがとな」
と言った健介の言葉が痛かった。
皮肉や嫌味からの一言ではない分、巧にとっては余計に。
健介は人が良すぎたのだ。
携帯を投げ捨てた後、鼓はおもむろにベッドに横になると、枕に顔を埋めた。
電話で健介はただ謝るばかりで、言い訳も反論もしなかった。
そんな彼に、鼓は自分でも驚くほどひどいことを言ってしまった。
そんな自分が嫌で、後悔した。
『おいらは何をやってるんだろう?
健兄ぃの誕生日を祝いたくて、ドキドキしながらプレゼントを選んで
健兄ぃの喜ぶ顔が見たくて、いろんな料理を考えて
なのに、なんでおいらは健兄ぃを責めてるんだろう?
今、おいらも健兄ぃも、イヤな顔しかしてない。
二人で笑いたかった誕生日は、どこへ行ってしまったんだろう?』
そこまで考えて、鼓は気が付いた。
「……違う……」
慌てて顔を上げ、壁にかかった時計を見る。
11時。
「そうっすよ……おいら……」
鼓は部屋を見渡した。
机の上には買ってきたケーキと、ブレスレットの入った小箱。
まだ、この誕生日は消えていなかったのだ。
少しうまくいかなかったからといって、二人の笑顔ごと投げ捨てようとしていたのは、
そう、鼓自身だったのだ。
それに気づいた時、もう落ち込んでいる場合ではなくなった。
鼓は机の上の小箱を無造作に握り締め、寮の部屋を飛び出した。
一人になった帰り道、不思議なことに、健介は鼓に対して不安は感じなかった。
諦めた、という言い方が正しい。
これだけ馬鹿なことが続いたんだから、後はもうどうにでもなってしまえばいい。
携帯で時間を確認する。
23時40分。
寮に帰る頃には日付が変わっているだろう。
最悪の誕生日は、こうして終わる。
「はぁ……」
健介は深くため息を吐き、とぼとぼと静かな住宅街を歩き出す。
「何やってんだ俺ぁ……」
健介が呟いた、その時だった。
「……お人好しでヘタレ。毎度お馴染みのことじゃないっすか」
脇道から小さな人影が、そっと顔を出した。
「え……」
健介には、状況が飲み込めなかった。
なんで、ここに。
「健兄ぃ、お疲れっす」
「鼓、なんで……?」
鼓は怒る様子もなく、ただ黙ってうつむいた。
どちらかと言えば疲れた表情でゆっくりと歩み寄ってくると、健介の胸元に鼻先を押しつけた。
「もう……待ちくたびれたっすよぉ……」
鼓の声が震えている。
健介はためらいがちに手を伸ばすと、鼓の背中を抱き寄せた。
「ごめんな……」
「健兄ぃの、バカ……」
鼓は健介の胸から顔を上げると、ベストのポケットに収めていたプレゼントの箱を差し出した。
「……はい」
「何これ?」
無神経な健介の一言に、鼓が眉をしかめる。
「何これ?じゃないっすよ、まったくもぉ!」
むっとした顔で、健介の手に強引にプレゼントを握らせた。
「誕生日、おめでとうっす」
「あ……」
呆然としている健介に、鼓がビシリと人差し指を立てた。
「ほら、言うことは!?」
健介は鼓とプレゼントを交互に見つめた。
「……ありがとう……」
鼓は健介のその言葉に満足したように頷くと、携帯で時間を確かめた。
「……11時50分。ギリギリ、間に合ったっすね♪」
鼓が、柔らかく笑った。
嬉しさとふがいなさに、健介の瞳が潤む。
「……っ……」
健介は、鼓に表情を悟られまいと咄嗟に後ろを向いた。
「健兄ぃ……?」
「なんでもねぇ……」
健介はぐっと涙を堪え、鼓に向き直って笑顔を見せた。
「うん。なんでもねぇ」
「……はいっす!」
夜空の月は、肩を並べて帰路につく二人をいつまでも照らしていた。