第1話『始まりの春』
「ふあ〜あ…」
青草市立青草高校の体育館。
黄土色の毛皮に身を包んだイヌ族の少年が、大きなあくびをしてみせた。
面白くねーなぁ、校長の話はいつもいつも…
そんなことを考えながら、少年は壇上で熱弁を繰り広げるウシ族の松坂校長に目を向ける。
「えー、つまり、一年生だった人は今日から二年生!二年生だった人は三年生になります!心身ともにより充実した日々を…」
うんたらかんたら。こういうのはだいたいどこの学校の校長でも同じだと思う。
少年が二度目のあくびをしようとすると…
「おい、リュウ…!」
不意に後ろに座っていたクラスメイトがイヌ族の少年…柴山龍介ことリュウの脇腹を小突いた。
「ひゃっ!?」
リュウは脇腹が…なんというか、ウィークポイントだ。思わず裏声が口をついて出た。
結構響いたらしく、まわりの生徒たちからクスクスと笑いが漏れる。
松阪校長にまでは聞こえなかったらしいが、教師の何名かはリュウに冷たい視線を送っている。
非常に気まずい雰囲気だ!
「…なんだよぉ、いきなり…」
リュウが戸惑いながら後ろを振り向くと、同級生でヒツジ族の辻田が何やら手紙を差し出した。
どうでもいいが、辻田のもこもこした毛皮は非常に暑苦しい。
冬場は横にいると暖かいのだが、春や夏になってくるとさすがに…
リュウにそう思われていることなど全く知らず、辻田は手紙を手渡した。
「これ、後ろから回ってきた。」
「何さ…?」
リュウは教師たちの視線に気を配りながら、手紙を開いた。
<本日放課後、演劇部緊急ミーティング!全員参加されたし。by部長>
わざわざ手紙書かなくても…携帯メールで済ませてほしいもんだ、このぐらいのことは…
おかげで余計な恥かいたよ…
リュウはそう思いつつ、手紙をポケットにしまった。
そう、リュウは演劇部に入っている。
部員が揃うのは久しぶりだ。
ミーティングの内容もだいたい想像がついている。
早く始業式、終わんないかなぁ…
そう思い、リュウはまっすぐ立った耳をピクリと動かしてみた。
始業式終了後、新クラスでの簡単な自己紹介や担任教師の話を終えたリュウは、すぐに演劇部の練習場所に向かった。
演劇部の練習場所というのは、放課後はめったに使わない特殊教室の一室である。
課外などで使用できない時は、仕方なく中庭や運動場を使ったりもするのだが。
「おはよございま〜す!」
リュウは元気良く挨拶をし、教室に入った。
ちなみに、どこの演劇部でも、挨拶は昼夜問わず「おはようございます」「お疲れ様でした」というのが鉄則らしい。
教室内には、すでに他の部員が2名到着していた。
一人は、演劇部でもっとも謎の多い男・クマ族で三年生の熊井薫。
リュウが入部して一年になるが、カオルとはあまり話したことがない。
というより、話しかけてもカオルは必要最低限のことしか語らないため、会話が続かないのだ。
でもリュウは彼のことを嫌いではないし、話すだけがコミュニケーションの全てというわけでもないと思っている。
何より、リュウより一歳年上なだけなのに、クマ族特有の巨体は頼りがいがある。
性格も、そう考えるとすごく大人びているのかもしれない。
もう一人は、ネコ族で二年生の猫柳美奈こと、ミナ。リュウとは中学の頃から知っている仲。
去年は同じクラスだったが、二年はリュウはC組、ミナはB組と、離れてしまった。
わりと綺麗な女の子で、少しばかりクールなところが男子たちから人気がある。
リュウは彼女に対してはさほど特別な感情は抱いていないのだが、一年の秋頃に
「実は付き合ってるんじゃないのか」という噂が流れたことがある。
その噂は自然消滅したのだが、それ以来、なんとなく二人は互いに少しだけ距離をおくようになっていた。
「おはよ…」
「おはようございます。」
カオルはボソッと、ミナは淡々と挨拶を交した。
「いやあ、久しぶりだなー」
リュウは適当な座席に座ると、部屋を見回した。
「呼び出した張本人の部長はまだ来てないの?」
「うん、さっき職員室でコピー機使ってるの見たけど。」
ミナの言葉に、カオルがなにやら「ははん」といった表情で頷いた。
何か思い当たることがあったのだろうが、口に出さない人なのでわからない。
とはいえ、三人とも大方の予測はついていた。
「やっぱ、あれかな。」
「あれでしょ。たぶん、私とリュウがキャストだと思う。」
「どんなの書いてきたんだろ…」
「さあね。でも部長、今年は必死でしょうね。」
「部員、足りないからなぁ…」
『はぁ〜…』
三人は揃ってため息をついた。
すると次の瞬間。
「おっはよざいや〜あすぅ!」
勢い良くドアを開け、一人の小柄な人物が飛込んできた。
たぬき族、三年生の演劇部部長・信楽狸吉である。
カオルとは同じ三年生とは思えないほどの差がある人物。身長差は実に30センチ。
リュウの身長よりも15センチほど低い。
本人は「たぬきは背が低い種族なの!」と主張しているが、そんな話は聞いたことがない。
あと性格も、ヘタすりゃリュウよりも子供っぽい。
でも親しみやすいことは確かな人物。
三年生の中には、下級生は敬語を使えと言い張る人物もいるが、彼は年下であろうがなかろうが、タメ語で話さないと気持ちが悪いらしい。
ただリュウもミナも、一応の敬意だけは込めて「部長」と呼んでいるのだが。
「遅いよ部長〜!」
「やー、悪い。コピーに時間かかっちゃってさ。ほい!」
そう言って部長は、数枚の書類をリュウとミナ、カオルに配った。
書類には、ト書きやらセリフやらが羅列されている。
予想通り、脚本である。
部長の専門は上演する脚本の選定や執筆、それに演出などである。
物を「直接書く」のが好きで、ワープロではなく全て手書きの文字。
携帯メールを極力使わず、手紙を書くのもそういった理由かららしい。
今回書いてきた脚本は20分程度の劇だった。
三人が脚本に目を通し始める前に、部長は教壇に上がって大袈裟な身ぶりを加えながら話し始めた。
「うぉっほん!え〜…諸君!知っての通り、今この演劇部は物すごーく危機的な状況にある!」
まったく、無駄にオーバーな表現が好きな人だと心の中で苦笑しつつ、リュウは頬杖をついていた。
すると…
「それはなぜか!?はい、リュウくん答えて〜!」
「は!?」
いきなり教師面して指名されたので、思わずリュウは耳としっぽをピンと立てた。
が、すぐにこうボケてみた。
「え、え〜と!部長がふがいないから?」
やばい、これは言ってはならない冗談だったか!
リュウは言ったあとで後悔しそうになったが、その不安はすぐに解消された。
「…それもあるね!にゃはは…」
部長は情けなく笑った。三人とも、部長の脳天気さに思わず苦笑した。
部長は軽く咳払いをし、話を本題に戻した。
「実際のところ、うちらは今部員が足りないんだよね〜。これじゃ夏の大会に参加できないのだ。」
部長が少しばかり肩を落とした。
その通り、演劇部の部員は現在この4名のみ。
去年の三年生は5人もいたのだが、彼等が卒業した今となっては、この人数は非常に厳しいものがある。
というのも、演劇というのはとにかく人手がいる。
実際に役を演じるキャストの他にも、音響や照明のスタッフ、さらにそれらに指示を出す舞台監督と呼ばれる役目も部員の中から選出しなければならない。
今の状況では、スタッフに3人使用するとキャストが1人しか使えなくなってしまう。
「部長が頑張って一人芝居の脚本書けばいいんじゃ…」
ミナが言い終わる前に、部長が口をはさんだ。
「あのねミナちゃん…おいらには一人芝居で一時間もたせる内容の脚本なんて書く自信ないよ…」
リュウは「確かに」と思った。一人芝居はとにかく脚本や演出、キャストへの負担が大きい。
自信がないならやらない方がいいと思う。
「最低でも役者3人は欲しいんだけど。」
それが部長の要望だった。
たしかに3人いれば、観客を一時間飽きさせない程度の芝居はなんとかうてるだろう。
リュウがそう思っていると、部長は急に真剣な表情で言った。
「あと二人でいい!来週の新入生への部活紹介でアピールして、なんとしても一年生を最低二人は獲得しないと!…そんなわけで、これ。」
部長は先ほどの脚本を取り出した。
「例年通り、短いお芝居をやって一年生にアピールしようと思うんだけどさ。キャストは…」
「私とリュウだよね?了解です。」
「さすがミナちゃん、話が早い!んじゃ、リュウもヨロシクね。」
「は〜い。」
そんなわけで、リュウとミナが二年生になって初めての芝居を上演することになった。
来週までにセリフを覚え、動きもできなければならない。
時間の余裕はないが、なんとかなるはず。これまでだってそうだったんだから。
みんなそう思いながら、今日のところは解散となった。
帰り道。
リュウはさっそく脚本に目を通しながら歩いていた。
どうやら喫茶店が舞台で、付き合ってた男女が別れる、別れないでもめる話らしい。
正直、あまり面白くない。
部長の脚本は当たりはずれが激しいけど、どうやらこれははずれだよなぁ…
リュウががっくりしていると、突然背後から肩を叩かれた。
「わっ!?」
驚いて振り向くと、そこにいたのはミナだった。
「なんだ、ミナか…脅かすなよ…」
「ふふっ、始業式の時の『ひゃっ!!』は良かったね。リュウってすぐに驚くから面白いな♪」
「やっぱアレ聞こえてた?でもおれはちっとも面白くないんですけど。」
リュウが苦笑いを浮かべて答えると、またミナがクスリと笑った。
なるほど、男子にミナのファンが多いのも頷ける可愛さかもしれない。
「部活紹介、頑張ろうね。」
「ああ…」
リュウが短く答えると、ミナは少し微笑み返し、
「じゃあね!」
と手を振ってリュウの家とは別方向の道に入っていった。
リュウも軽く手を振って「また明日」とだけ言って見送った。
桜が夕陽を浴び、ほのかなオレンジ色に染まる午後だった。